海外旅行史
韓国の海外旅行史は日本とはだいぶ違う。
第2次大戦後、外国に行くことができるのは外国に出張しなければいけない公務員やマスコミや企業人と、スポーツ選手くらいのものだったというのは日本と同じだが、自由化の流れはだいぶ違う。日本は、1964年4月に海外旅行が自由化された。渡航の理由は観光でも何でもいい。旅行費用の問題がなければ、年に一回誰でも外国に行けるようになったのだが、韓国は段階的だった。
1983年1月に、海外旅行が部分的に自由化された。50歳以上と年齢制限があったのは兵役との関係だろう。兵役を終えてもその後も民防衛隊として訓練を受けなければいけないから、若い男は出国できない。海外旅行ができる条件は、年齢以外にもあとふたつある。ひとつは、供託金として銀行に200万ウォンを入金する必要がある。期限内に帰国しなければ、このカネは没収される。1985年に韓国に行ったとき、取材テーマとはまったく関係ないのだが、韓国人の海外旅行の話を聞いた時に、「日本円にして、60万か70万かのカネ」といっていた記憶がある。当時の200万ウォンは、当時の為替レートで58万円だ。大卒初任給の7か月分の給料くらいの金額だ。ちなみに、この時「韓国人の新婚旅行は済州島だ」という話を聞いた。そこが、韓国内で唯一飛行機で行ける場所だからだ。
海外旅行に行くには、供託金のほかにも、クリアしなければならないハードルがある。渡航したいという人物が、韓国政府にとって好ましい人物であるという証明が必要なのだ。家族、一族、交友関係者に反政府活動をしたものはいないか、共産主義シンパはいないかという調査を、かなり入念にやるらしい。政府の優良人物合格印のない者は出国できないのだ。
それが完全に自由になったのが、1989年1月だと思っていた。「応答せよ 1988」にさっそく海外渡航の話が出てくる。横町に住んでいる天才少年棋士テクが中国で開催される大会に出かけることになったが、自分の事がなにひとつできないテクの世話係りが必要になり、ちょうど冬休みの女子高生ドクソンが幼馴染みのテクを助けることになった。男の友達も多いのに、なぜドクソンに依頼されたのかという理由を説明するセリフがある。
「男だと、パスポートの申請をしてから3か月はかかるから間に合わない。女の子なら、韓国棋院の力を使えば3日でとれる」
1989年1月に完全自由化されたと思っていたが、やはりまだ人物調査があったようだが、資料では問題がなければ、5日ほどで調査は終わると言うのだが、それは原則でしかない。まだハードルがあったのだ。パスポートの申請には、反共愛国教育をする施設での受講修了書が必要だった。1日の講習で済むのだが、手間がかかったのは確かだ。この受講義務は、92年には廃止されたようだ。
「応答せよ 1988」では、宝くじが当たった成金一家の夫婦が日本旅行に出かける。「昔は海外旅行の手続きは銀行の残高証明とか大変だったけど、今は楽になった」というセリフがある。最近、中国の海外旅行史を書いたので(アジア雑語林1376話 2020-01-26)、そのあたりの事情がよくわかる。
韓国の海外旅行資料は、国家記録院による。
http://theme.archives.go.kr/next/koreaOfRecord/globalTravel.do
2016年に海外旅行した人の3割はひとり旅だったといった資料が次の「KBS WORLD RADIO」にある。