1972話 服が長持ちする理由 その4(最終回)

 その昔、「パンツのゴムと歯ブラシは変え時が問題」というジョークがあった。今のパンツはベルト状の平ゴムが多いので、ゴムの取り換えは少なくなった。だから、ゆるゆるになり、ずり下がってしまうようになれば捨て時だが、それがいつかというのが問題である。服が長持ちする理由の話を書いてきたが、どの程度着た服が、「長持ちしている」のか、あるいは「いーかげんくたびれているので、今が捨て時だ」となるのか、判断が難しい。

 雑誌のエッセイや放送の雑談で、こんな話を何回か目にし耳にした。

 「1年くらい着ていて、布は柔らかくなり、肌に合うようになり、ますます気に入ったシャツがあるんだけど、この前探したらタンスにないんだよ。女房に『あのチェックのシャツ、どうした?』と聞いたら、「もうくたびれているから、捨てたわよ。みっともない格好はしないでくださいね」なんていうんだよ。女は、服をすぐ捨てるんだよな」

 こういう話に男女差があるのかどうか知らないが、私も着慣れた服が好きだ。服は自分との歴史だから、工場で痛めつけて強いダメージを与えたフェイクジーンズなど嘘くさくて嫌いだ。ヘリコプターで山頂に着いたのを「登山」と呼んではいけないのと同じだ。

 「くたびれたシャツ」で思い出すことがある。その昔、ある雑誌のインタビューを受けたことがある。取材者は、フリーの女性ライターだった。喫茶店で取材を受けたのだが、そのライターが着ていたTシャツは極薄のよれよれですっかりくたびれていて、インドの安宿で1年旅している旅行者に会ったようだった。しかも、腕をあげると脇の下部分が数センチほつれてポッカリ穴が開いていた。前日、インタビューを受ける場所と時間を電話で打ち合わせていた時、電話の背後で泣き叫ぶ子供の声が聞こえ、生活の厳しさを感じたのだが、仕事の服としては、さすがの私も「そのTシャツは、ダメだよ」と言いたい。

 男はモノフェチの傾向があるのかもしれない。収集癖というのは、ほとんど男だ。

 職人の道具を見ていると、研ぎ続けて小さくなった包丁やノミが道具箱に入っている。手形がついてくぼんだカンナ。道具がすり減っているのは、仕事をしてきた長い歴史の喜びだろう。長年愛用してきた道具に対する愛着があるのだろう。

 女の料理人で、ちびた包丁を愛用している人がひとりだけいると気がついた。家政婦として知られるタサン志麻さんは、元フランス料理人だから、ペティーナイフを愛用しているのは料理風景の映像でわかったが、そのナイフをよく見ると、砥ぎに砥いで小さくなり、先がとがっている。よく使いこんだ包丁だ。

 服でも靴でも、「いかにも新品」という感じがなんとも恥ずかしい、しっくりこないという感覚がある。昔の旧制高校生のように弊衣破帽(へいいはぼう)がいいとはまったく思わないが、借り物の服を着た芸能人も見苦しい。

 突然、「さらの服」という語が浮かんだ、最近は「さら」とはいわないなあ。さらは更地のさらで新品を指すのだが、ネットでは「さらは、関西弁」という説明が多い。しかし、「まっさら」は、全国で使ったんじゃないかなあ。また、突然思い出した。服に関することばだ。「おニュー」、「お古」、「おさがり」・・・、ひとりっ子が多くなると、きょうだいのなかでの「おさがり」は死語になっていくのかなあなどと、服が長持ちすると姿を見せる関連用語が頭に浮かんだ。