1846話 時代の記憶 その21 消えつつある物事 上

 

 団塊の世代が、子供の頃の思い出を書いた本は多い。

 めんこ、ベーゴマ、クギ刺し(クギ打ち)、ビー玉、ゴム飛び、あやとり、リリアン、馬飛び、お手玉、ままごと・・・・と、いくらでも出てくるだろうが、こういう話にあまり出てこないなと思う事柄を書いてみようと思う。

チリチリパーマ・・・1950年代から60年代でも、年に何回もパーマ屋(その時代、「美容院」や「理髪店」という呼び名はまだそれほど広まっていなかった)に行くような余裕のない人がほとんどだったから、かなり強くかけて、半年以上持たせるようにした。しかし、髪は伸びるから、パーマがかかっているのは毛先だけというのが、あのころの「おばちゃん」だった。韓国でも、このチリチリパーマがおばちゃんのトレードマークだった時代があり、1990年代でもまだその姿が見うけられた。

 2010年代のバンコク。散歩の休憩でホテルに入った。ロビーでちょっと涼むコンタンだ。ロビー中央に旅行者が十数人集まり、ガイドの話を聞いていた。その言葉から、韓国人の団体だとわかった。20代から30代の旅行者たちは、いまではどこにも「韓国人らしさ」はなく、言葉を聞かなければ、韓国人も台湾人も日本人も、区別がつかなくなっている。今は、そういう時代だ。

 ロビーの団体客から壁際に目を移すと、床にしゃがみ込んだおばちゃんが7、8人いた。服の柄も形も、在りし日の韓国のおばちゃんであり、もちろんパンチパーマばりのチリチリパーマだった。海外旅行という晴れの出来事を迎えて、せいいっぱいのおしゃれをした母親を、子供たちが連れて来たと、想像した。その韓国でも、パーマのチリチリ加減はかつてよりもソフトになってきたように思う。経済的に楽になり、パーマ屋に行く頻度が増えたからだろうか。

金歯・・・農村の小金持ちや都会の職人や芸人や中小企業の社長などが、金歯を光らせていた時代がある。「オレはカネを持っているんだぞ!」という自慢であり、背広を着た高学歴者たちからは、「獅子舞の獅子かよ」とバカにしていた。金歯は、直接の関係はないだろうが、カラーテレビの時代になったころから、「みっともないオヤジ世代のもの」になってきたと思う。

 成金趣味の自己顕示はアメリカではまだあるようで、映画「ムーンライト」では、貧しい少年が裏世界でカネを作り、グリルと呼ばれる歯を覆う金をつけているシーンが映画のラスト近くに出てくる。ヒップホップ歌手の成金趣味らしい。

台所道具・・・かつては多くの家庭にあったが、いまではあまり持っていない調理具、とくに若い世代の家庭なら、料理が大好きという人以外は買っていない台所道具といえば・・・と思い浮かべる。かまど、羽釜、七輪、あるいは火吹き竹やマッチなどとは、すぐに思い浮かぶ。

 それ以外では、まずは、蒸籠(せいろ)だ。自宅で餅をつかなくても、「赤飯を炊く」というとき(「炊く」とはいっても蒸していたのだが)に使っていた蒸籠は、多分、20代30代の家庭にはないだろうと思う。今は炊飯器が高性能になって、炊飯器で赤飯が炊けるようになり、蒸し物は電子レンジでできるようになったから、蒸籠は必要なくなったのだ。

 すり鉢とすりこ木も、消滅しつつある台所道具だと思う。すりごまは市販されているし、すり鉢を使うような料理は作らないから必要ないということではないか。自宅で魚を下ろさなくなったから、出刃包丁も家庭から消えつつあるだろう。そういえば、「ヤカンがない家庭が多くなった」というミニニュースをテレビでやっていた。電気ポットと電子レンジがあれば、ヤカンは要らないということらしい。日本茶をはじめ、自宅であらゆる茶飲まないという人や、ティーバッグやペットボトル入りの茶を買うという人なら、急須も湯呑もティーポットも要らないということになる。

長靴・・・農山村や雪国で暮らしている人でもなければ、長靴を持っている人は極端に減ったと思う。道が良くなったからだ。

 このアジア雑語林の1819話の阿川弘之旅行記で紹介したように、1958年の日本では、「国道でさえ、舗装していないのが当たり前」という時代だった。国道でさえ、雨が降れば泥道になるのだから、市道や私道が泥沼になるのはいつものことだった。だから、長靴は必需品だったのだ。

 少年時代の記憶を呼び起こせば、駅までの道の半分はどろどろの悪路で、サラリーマンたちは長靴を履いて家を出て、駅で革靴に履き替えていた。駅の靴箱は、鉄道会社のサービスだったのか、利用客が置かせてもらっていたものか知らない。私はと言えば、中学生までは雨なら長靴で通学し、高校生になると革靴で通学していた。色け付いたということもあるが、1960年代後半になると、ウチの近所の住宅地でも舗装されるようになり、家の前から駅まで土を踏まずに行けるようになったからだ。