1819話 阿川弘之とスタインベック

 

 阿川弘之の『空旅・船旅・汽車の旅』(中公文庫、2014。解説:関川夏央)の親本が出版されたのは1960年だから、1950年代の乗り物の話だ。

 日本のドライブの話は、雑誌「日本」の企画で行なわれた、1958年の東北・北陸旅行を描いている。阿川夫妻に編集者とプロドライバーの4人のドライブだ。車は56年製のクラウン。走った道路の95パーセントは「一級国道」だそうだが、制限速度の30キロを超えることはなく、平均22キロくらいだという。すさまじい悪路がその原因だ。写真を見ると、たんぼ脇の農道も雨季のラリーの道も、これよりはマシだろと思われる泥道が、当時の国道だというから驚きだ。

 日活映画で見る「かっこいい銀座」の時代、東京の中心部を外れれば、車にスコップを積んでいないと安心して走れないような道だ。同じ時代、東南アジアを走った日本の自動車工業会のルポでは、ベトナムカンボジアも、さすがフランスの元植民地で道路が素晴らしいが、タイに入った途端、日本のような洗濯板の道路になったといった文章があった。

 「昭和37年には、一級国道の70パーセントは舗装を終わる予定だ」というから、1958年(昭和33年)当時は「国道でさえ、舗装してないのが当たり前」だったようだ。

 空の旅は、スチュワーデスの思い出話が載っている。同業組合の団体旅行は、機中で宴会が始まり、はち巻きをしめて、のど自慢。持ち込んだ弁当などのゴミは座席の下に押し込む。夏は、上着もズボンも脱いで、シャツとステテコ姿になる・・・といった行状は、観光バスの団体旅行のままだという。乗ってきたとたんにズボンを脱いで、ステテコ姿になったじーさんを、私は新幹線と国際線機中で目撃したことがある。1970年代の話だ。

 1956年、ロックフェラー財団の招待でアメリカ留学したおり、49年型のフォードでドライブをした旅行記が、「アメリカ大陸を自動車で横断する」だ。

 「サンフランシスコから南へ、サン・ノゼ、ギルロイ、サリナス、モントレーあたりの住人は・・・」という文章を目にして、この本とはまったく関係のない本を思い出した。スタインベックにまつわる地名だ。

 1974年バンコクアメリカ人旅行者から「これ、読み終えたばかり。すごくいいよ」といって手渡されたのが、スタインベックの”Sweet Thursday”だったという話は、248話ですでに書いた。すぐに読み始めたのだが私の英語力では物語に入って行けなかった。帰国して日本語訳を探したが見つからず、そのまま長い長い月日が流れた。

 そして、2022年になって、阿川弘之の文章で、読めなかったスタインベックの本を思い出した。1970年代はコンピューターで検索することはできなかったが、今なら日本語訳の本をすぐに見つかるだろう。ノーベル文学賞受賞作家なのだから、当然だ。

 調べた。新潮文庫かなにかで簡単に見つかるかと思ったのだが、文庫も単行本も見つからない。ただし、スタインベック全集第9巻に、「キャナリー・ロウ」「たのしい木曜日」(訳: 井上謙治/清水氾・小林宏行・中山喜代市)が入っているとわかり、48年間の空白を埋めようと、ネット古書店を調べると、アマゾンで見つかったが、30200円! こんな値段がついているということは、どこの出版社も、「出しても儲からない」と思っているからだろう。しかたがないから、図書館で借りるか。

 阿川弘之アメリカドライブを楽しんだのは1956年。スタインベックの小説『エデンの東』の出版は1952年で、映画化は1955年。ノーベル文学賞受賞は1962年。68年に66歳で死亡。阿川の旅行記に、スタインベックの名は出てこない。