1041話 道路に名前を


 世に「2020年問題」と呼ばれるものがあるようで、ネット検索でも、さまざまな問題があるらしい。2020年の東京オリンピックと異文化衝突の問題に限定すれば、世界の常識である「電車内の通話」が、日本の常識とぶつかるとどういうことになる。飲食店などの喫煙問題や、居酒屋などで料金を明示していない「お通し」問題とか、さまざまな異文化衝突があるだろう。
 私が旅行者となって、外国の街を散歩していて「日本は不便だ」とつくづく思うのは、日本には道路の名前がないことだ。
 旅先では、いつも地図を持って散歩をしている。自分が今どこにいるのかわからなくなったとき、交差点に建ち、四つ角の建物か街角の柱についている道路標識を探す。交差する道路の名前がわかれば、自分がいる場所がわかる。今もスマホを持たない私は、そうやって道を探す。
 日本の場合は、ところどころに住居表示がある。「港区〇〇町3丁目28」と表記されていても、その地図で目的地までの行き方を探すのは容易ではない。分厚い区分地図を手にしていないと探せない。道路脇に周辺の地図があれば少しはわかりやすい。地図を見ても、外国でのように、「A通りを右折して、D通りに入り、3本目の路地の奥か」と読もうとしても、道路名がない。番地なんか読んでも、3丁目の隣りが7丁目だったりするから、すぐにはわからない。
 「いまはスマホGPSを使えば、街で迷うことなんかないよ」というかもしれない。しかし、それでも通りの名前がないと不便だろう。試しにバンコクでもバルセロナでもいいから、「市内中心図」から道路名を消した地図を手にしてごらんなさい。デジタル地図に目的地のマークがついたとしても、それが何という道路沿いにあるのか分からないと歩きにくい。
 日本でも、道路に名前をつけるべきだ。すべての道路にいきなり名前をつけるのは大変な作業なので、まずは繁華街や主要道路に名前をつける。とりあえずは、国道や県道などにすでについている番号を表記する。それが正式名であってもいいが、なじめないので「昭和通り」のような通称をどんどんつけていく。道路名称委員会が独善的に命名し、反対が多かったものは後から改称すればいい。
 広島なら、カープの選手名をつけていけば、反対は少ないだろう。問題が起きるとすれば、選手の格と道路の格をどうバランスを取るかだ。広島市のことは市が決められることだから、どんどんやればよろしい。正式道路名ではなく、通称なんだから、いいじゃないか。大してカネのかかる作業ではないから、町おこしの運動として、「道路に命名運動」をやると、盛り上がると思うんだがなあ。かつての、ふるさと創生1億円事業は地方自治体がどれだけアイデアを出せるかという能力の競技でもあった。やたらに黄金の固執した市町村があったり、温泉を掘ったりと、日本人の想像力と創造力を試す機会として興味深かった。同じように、町の道路に名前をつけるというのは、それぞれの自治体の教養や発想力が試される機会として、なかなかおもしろそうだ。世界の観光地の名前をつけるところや、キラキラ名をつけるところも登場するだろう。かつての「〇〇銀座」とか「原宿シャンゼリーゼ」なんて、恥ずかしい名も実際にある。地元の人たちが知恵を絞り、方言名にするとか、その土地ゆかりの漫画家や小説家や映画監督の作品にちなんだ名前をつけるかもしれない。そういうアイデアを見てみたい。