1097話 イタリアの散歩者 第53話

 アッピア街道


 イタリアの観光行政は、歴史遺産を食いつぶしているだけだという感想は、アッピア街道を歩いていて、なおさら強くなった。
 カラカラ浴場は、遺跡という名の歴史の残骸に囲いをしただけだのことじゃないかということに気がついて、10分で飽きた。朝の割と早い時間に起きてバスに乗り、すぐにここに着き、すぐに飽きてしまったから、次の遊び場所を考えないといけない。


 カラカラ浴場とはいえ、浴場らしきものが残っているわけではない。

 地図を眺めたら、かのアッピア街道の入口が、ここからそう遠くない場所にあることがわかり、歩いて行くことにした。その名もカラカラ浴場通り(Via le Terme di Caracalla)を南に歩けば、すぐに城壁が見えてきて、アルデアティーナ門をくぐって左に曲がってちょっと歩けば、サン・セバスティアーノ門。そこに城壁博物館があるが、おもしろそうではないので、素通りする。その門の向かいに、バス1台がやっと通れるくらいの小道が伸びている。小さな道路標示に”Via Appia Antica”とある。Anticaは、多分antiqueのような意味だから、「アッピア旧道」か。旧があるなら新があるだろうと思って調べれば、確かにある。アッピア新道Via Appia Nuovaというのが、旧道の東を走っている。しかし、その新道ができた時期が資料によって16世紀から19世紀までいろいろある。
 新道はともかく、旧道は紀元前4世紀の建設で、ブリンディシまで560キロほどある。その起点から歩き始めたのだが、道の両側は民家の壁と畑の塀に挟まれ、そこに自動車が結構なスピードで突っ込んでくる。大型のバスやトラックが走って来ると、壁に身を圧しつけるようにしないと、車に引っ掛けられそうで怖い。
 現役の歴史遺産なのだが、歩行者には危険な道路なのだ。これも前回書いたように、貧弱な観光行政の結果である。街道沿いに住宅があるから完全な遊歩道にすることは不可能だが、時間を限って、歩行者に道路を開放することはできるはずだ。また、途中のどこかに「アッピア街道資料館」をつくり、カフェも併設するといったことも可能なのだが、カネと手間のかかることは考えないのだ。これが原野や離島などで、「自然のままにしておくのがいい」という方針があるなら、それでいいのだが、アッピア街道の場合は、そのまま現役の狭い道路のまま観光地になっているから、危なくてしょうがない。観光化する気がないならそれでもいいが、安全対策はとるべきだろう。

 以下、交通量が多いアッピア街道。けっして優雅な古道散歩ではなく、大型トラックやバスが来たら、壁に体を押し当てる。