811話インドシナ・思いつき散歩  第60回


 山坂道をくねくねとビエンチャンへ 後編

 バスがのんびり走りだすと、私の周りに座っているラオス人のじーさんやばーさんは、ポケットから携帯電話を取り出してしゃべり始めた。「今、○○あたりを走っているんだけど」と、家族に現在地を伝えているのだろうと想像した。アフリカでもアジアでも、電気もない村でも、携帯電話を使っている光景は、重い黒電話を知っている世代には違和感はある。そういう感想を書いたりしゃべったりする人は多いが、私が初めてこういう違和感を抱いたのは、電気のない村でテレビを見ている人たちを見かけたときだ。電気はバッテリーを使う。テレビ番組は受信できない土地なので、録画したテレビ番組をテープデッキで再生して見ている。ラジオがある家庭に白黒テレビが来て、それがカラーテレビになって、VHSデッキを接続してという時代までの数十年を見て来た私には、「いきなりビデオか」という驚きがあった。
 ビエンチャンが近づいてくると、「やや平地」になり、小さいながらも水田が見えてきた。
 夕暮れが近づいたころ、街らしい場所(でも、まあ、村と言った方がいいな)で西洋人旅行者が何人か降りた。地図も持っていないから、ここがどこなのかわからないが、耳を澄ますと「バンビエン」という声が聞こえてきた。どこかで聞いたことがある地名だが、ラオス観光の基礎知識が著しく欠如しているので、「聞いたことがある」と言う以上の情報はないが、どっちみち私がおもしろがる場所ではないだろう。とはいえ、車窓からであっても、村の観察をもっとしたかったのだが、陽が完全に落ちた。漆黒の闇を走るのかと思ったが、街道沿いに商店があり、ささやかな明りが見えた。
 私にとっては楽しかったドライブは、9時過ぎに終わった。3時間ほどの遅れだったらしい。バスはビエンチャンのバスターミナルに停まったが、場所のイメージはつかめない。ビエンチャンのどのあたりなのかわからない。乗り合いのトゥクトゥク三輪自動車)が「シティー・センター!!」と言って、客を集めている。バスの乗客は、すでにばらばらになっている。バスで私の近くに座っていた若い夫婦は、予約しているホテルの名を運転手に告げた。「空港の近くですよね」という確認の言葉は、私が通訳した。
 「明日、朝早く、クアラルンプールに発つんで、空港のそばのホテルにしたんですよ。クアラルンプールからルアンパバンに飛んで、4日間過ごし、そのまま飛行機で戻るのはおもしろそうじゃないから、ビエンチャンまでバス旅行をしてみたんです。この休暇、おもしろかったですよ」
 トゥクトゥクは時速30キロほどで走っている。のちに地図で確認すると、わがバスが着いたのが北バスターミナルで、空港からさほど遠くない場所にあった。空港前から南東の街の中心地へ向かうシソン通りを走っていたことになる。驚いたのは、30分ほど走っている間、街並みが途切れないことだ。20年前のビエンチャンは、首都とはとても思えないほど小さな町で、ひまつぶしにトゥクトゥクをチャーターして郊外を走ったことがあるのだが、こんな広い道路もその両側に続く商店街もなかった。かつては、ちょっと歩けば途絶えた街並みが、今ではトゥクトゥクで30分走っても消えない。
 夜10時過ぎに、「ビエンチャンの中心部」だと運転手が言う場所に着いた。記憶にあるビエンチャンは断片もない。「初めてなのに、懐かしい」という言葉はよく聞くが、私にとってビエンチャンは、「初めてじゃないのに、わからない」という街だ。実質上、知らない街の知らない街角に立ち、じっと街を睨む。
 年季を積んだ旅行者の、「安宿はこの辺にありそうだ」という勘は見事大当たりしてすぐ見つかったが、「満室です」と言われ、次に見つけた宿は、「ドミトリーなら、ある」と言った。刀折れ矢が尽きる事態にでもならなければ、ドミトリーに泊まる気はないので、次を探すことにしたのだが、この時間だと行き当たりばったりに探しても時間の無駄だ。路地裏を歩いて宿探しをするのは楽しいのだが、そろそろ11時になる。腹も減った。まだ営業していたインド料理店に入り、店員に「この辺に安宿はないか」と聞くと、「ほら、あそこ」と店の斜め前を指さした。そのホテルに行った。部屋はあったが、高い。それが相場らしいので、しょうがない。汚く、高い宿で、とりあえず1泊。それはそうと、だいたい、この街が11時過ぎてもまだ明るいというのが変なんだよ、過去を知っている身には。