783話 インドシナ・思いつき散歩  第32回 


 ベトナム美術博物館から文廟へ


 その日の散歩は文廟を仮の目的地とした。文廟とは、孔子廟であり、ベトナム最初の大学が置かれた地でもある。数日前の散歩で、鉄柵で囲まれた古刹のような場所に出て、地図で調べてみれば文廟なのだが、中に入らないで散歩を続けた。だから、きょうはとりあえずの目的地を文廟にして、そちらの方向に歩くことにした。
 我が宿から文廟方面に歩こうとすると、巨大な壁が行く手を阻んでいる。壁というのは比喩ではなく、現実の強固な壁である。旧市街の外、線路を超えたあたりは軍関係施設が集まっている。通りによっては軍専用道路になっていて、一般人は通行できない。最短距離で文廟に行く道はないから、いったん北上して線路を渡り、ファンディンフン通りを歩き、グエン・トライ・フオン通りを南下するという大回りのルートしかない。この通りの名は、フランス軍と戦ったグエン朝の軍人の名前で、いかにも軍地区の通りらしい。高い塀に囲まれている場所なのに、グエン・トライ・フオン通りの角に突然モダンな建物が見えてきた。全地域が軍の支配下にある場所に、こんなシャレた建物がある。
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 これは何だと手がかりを探すと、「ARMY  HOTEL」という看板が掲げてある。なんとも直截な名前だが、デザインは悪くないと思う。調べてみれば、ハノイには、オペラ劇場の南にも同じ名前のホテルがあり、軍のビジネスぶりがよくわかる。
 アーミーホテルの角を曲がると、左側が広大な軍施設の塀、右側は旧ハノイ城の塀があって、道路の両側が塀である。両側に高い塀が1キロほど続く道路を想像してほしい。軍施設の入り口には兵士が立ち、銃を両手で持ち、銃口を斜め下に向けている。「いつでも撃てるぞ」という意思表示の姿勢だが、ここで誰を撃とうとしているのだろうか。車はときどき通り過ぎるが、歩いているノンキ者は私ひとりしかいない。歩いていておもしろい道路ではないが、異様な緊張感に包まれた特異な道路として、散歩する価値はある。
 そういう道路を1キロほど歩くと、右側に飛行機が見えてきた。ベトナム戦争時に捕獲したアメリカ軍の飛行機だ。地図を見れば、ベトナム軍事歴史博物館の庭だとわかった。武器に興味がないので、散歩を続ける。またしても北朝鮮大使館前を通り、ベトナム美術博物館に行く。
 ベトナムの現代史は、戦争の歴史だったということはわかったうえだが、国立の美術館の絵は悲しい。戦争の絵だから悲しいというのではなく、ベトナム共産党政府に認められた作品だけが展示されているという事実が悲しいのだ。ベトナムで画家として生きていくためには、党に認められないといけないのだろう。ここの絵を見ていて、戦時中の藤田嗣治を思い出した。美術にほとんど興味のない私には、ここの建物の方がおもしろい。
http://r-o-h.hateblo.jp/entry/hanoi-art-museum
 『建築のハノイ』(大田省一、白揚社、2006)によれば、ここは元インドシナ大学寄宿舎だというのだが、あまりに立派な学生寮だ。この本は、出てすぐに読んだが、ベトナム建築とハノイを知らずに読んだので、「読んだ」という記憶以外なにもない。実を言えば、「ハノイに行こう」と決めた時、本棚にこの本があることをすっかり忘れていた。「ベトナム」の棚ではなく、「建築」の棚に入れていたからだ。この本を手にハノイ散歩というのは、今考えられる最大の楽しみだという気がする。このガイドブックなしにハノイを歩いたが、半分以上の建築物は見ている。昔はわからなかった本文の記述が、現物を見た今では、それぞれの建物の説明文がよく理解できる。散歩をしていると、気になる建築物が多いのがハノイ。それが、ハノイ散歩の幸せかもしれない。
 文廟は、卒業写真の撮影シーズンだったので、大学生でごった返していた。普段の静かな雰囲気なら、ここは悪くない。観光客が多少いるにしろ、落ち着いた場所だろう。大学生たちを観察していて気がついたことのひとつは、脱いだ靴を手にして歩いている女子大生が何人かいたことだ。私の推察だが、普段ヒールの高い靴などまったく履かない学生が、写真撮影だけのために借りてきてので、履きなれないので怖く、あるいはサイズが合わず靴ずれして歩けないので、靴を脱いで、バスまで戻るということではないか。文廟の前には貸し切りバスが止まっているから、団体で撮影地巡りをしているのだろう。
 文廟はこういうところだが、ここの歴史的建造物よりもハイヒールを手にして歩いている女子大生の方が気にかかるというのが、私の散歩だ。
http://vietnam.navi.com/miru/73/