782話 インドシナ・思いつき散歩  第31回


 ローヤルシティーで映画を その3

 前回紹介したベトナム映画、「草むらに黄色い花」の話の続きだ。この映画の出来は、「まあまあ」というところだが、農村を舞台にしたベトナム映画はほとんど見たことがなかったので、その点では新鮮だった。
 監督やプロデューサーが考えていたことを想像すれば、「ドイモイ以前の、機械文明にまだ毒されていない、懐かしき美しき田舎の、美しき人々」だろう。1980年代が舞台ということは、1970〜80年代生まれの「元少年少女たち」に向けた「懐かしき田園の物語」だろう。1980年代の小学生は、ベトナム戦争が終わってすぐ、1975年以降に生まれた「戦後世代」、現在30代だ。美しい映像と、美しい音楽(西洋人が歌っているフォーク調の歌)がセールスポイントではないか。英語の字幕を付けたということは、外国に売りたいということか。映画の最後にKANTANAという名が出てきた。この会社は、タイの映画会社であり、テレビ番組制作会社だ。私が初めてこの会社を知ったのは、カンボジアにタイのテレビ番組を売るために、字幕や吹き替えの作業をやる会社として、プノンペンで活動を開始したというニュースを見た時だ。
 気になったことが3点ある。
 1点目は、この映画の人物相関図のことだ。登場する子供たちをもう一度考えてみる。ちょっと太った純真無垢の善良な弟、基本的にはまじめなのだが、ずるい賢いところがある兄。学校に行くと、体の大きいいじめっ子がいる。そして、美人の級友。どこかで、見たことがある相関図。あっ、ドラえもんか。この映画は、ドラえもん映画の世界、あるいはスタジオ・ジブリの世界が影響を与えているような気がするのだが、どうだろう。
 2点目は、アジア的非リアリズムとでも呼びたくなる出演者だ。
 舞台は1980年代の農村。食べ物が充分にない村で、空腹をかかえているというシーンもある。そういう家庭の子供でありながら、ふたりの子役は、サイゴンの金持ち家庭のおぼっちゃまのような風貌で、学費がとんでもなく高い私立学校に運転手付きの車で通学しているような顔つきだ。弟はふくよかな体つきで、兄はジャニーズ事務所のタレントのようで、髪型も芸能人そのままだ。兄役の俳優は、現実には中学生か高校生だろう。
 こういう「不釣り合い」というのは、タイ映画でもよくあることで、役者の顔にリアルさがない。「日本なら、もうちょっと俳優選びを考えるし、演出も考えるよなあ」などと思って見ていたのだが、よく考えれば、日本も同じよだなあと気がついた。映画版「おしん」の、おしんの父親役は稲垣吾郎、母親役は上戸彩だ。このふたりが、明治の山形の貧乏百姓に見えるかと問われれば、返す言葉はない。長髪の木村拓哉が特攻隊員をやった「君を忘れない」という駄作もあるし、ほかの国ことは言えない。
 3点目は、笑いだ。私のほかの6人のベトナム人客は6人とも30代の女で、彼女らがまあよく笑う。この映画はコメディーではない。私の感覚では、コミカルなシーンがあるとは思えない。例えば、夜中に物音がして、少年がどうしたのだろと起きだして、棒を握っただけで、爆笑。棒をもって、家の外に出て行こうとして、また爆笑。何がおもしろいのかさっぱりわからない。笑いの感覚は、やはり文化をなかなか越えられない。
 ベトナム映画ってどういうのかと知りたい人は、こういうサイトがあるので、その雰囲気を味わえる。2番目のサイトは、ベトナム映画をYoutubeで見るというものだ。
http://www.thegioiphim.com/
http://matome.naver.jp/odai/2141854906247833901
 映画を見終わって、外に出て、しばらく歩き、ロッテマートというショッピングセンターを点検し、これからホテルまでの長い徒歩旅行に出た。夕方には宿に着くだろう。バス停を通りかかったところで、ふと振り返ると3番のバスが走ってきた、運転手に、「オペラ劇場にいきますか」と聞くと、「Yes」。今朝乗れなかった3番のバスに乗って、一気にオペラ劇場に戻ってきた。バスだと30分だ。
 オペラ劇場あたりは、植民地時代はフランス人の憩いの場だったところで、現在は書店が多い。まだ明るいので、本屋でちょっと遊んでから帰ることにしよう。