788話 インドシナ・思いつき散歩  第37回


 あの低い椅子について考える 前編

 ベトナムを旅した人のほとんどが、「あれっ?」と思い、旅日記に何かひとこと書きたくなるのが、あの低い椅子だ。「風呂場の椅子のような」と形容されることが多い椅子だ。例えば、こういう記事がある。
http://iwanya.exblog.jp/22225818/
 多くの人が「あの椅子」に触れているが、考察した人は少ない。ビルマの屋台や茶店の椅子も低いのだが、ベトナムビルマの両方の椅子を踏まえて考察した人を知らない。あの椅子のことはいままで何度か考えたことがあり、資料を探したこともあった・・・、あっ、そうだ、思い出した。『アジアに見るあの坐り方と低い椅子』(井上耕一、丸善、2000)を買って読んだのだが、本棚に見当たらない。「参考になった」という記憶がないし、見えないところにしまったということは、参考文献にはなりそうもないと思ったからかもしれない。それでも、もう一度読んでみたくて図書館から借りてきた。
 この本自体はユニークでおもしろいのだが、ベトナムのあの低い椅子の来歴は、やはり書いてない。しかたがない、いくつかの見聞をもとに、私が想像で書くことにしよう。
 昔のタイの写真を見ていたら、食堂に板一枚を使った長椅子があった。長椅子は、いまでも地方の市場やその周辺の飲食店にいけば見受ける。背もたれのない長椅子というだけなら、「縁台将棋」にあるように、日本にもあるのだが、座り方が違う。客は、長椅子の上に上がり、しゃがんでいるのだ。つまり、食卓があるから椅子に上っただけで、いつも地面にしゃがんでいるのとまったく同じ姿勢なのだ。この写真の撮影年代はわからないが、たぶん、1920年代か30年代だろう。『ベトナムで見つけた』(杉浦さやか祥伝社黄金文庫、2000)の、「愛しのコムビンザン」と題したコラムのイラストが、椅子の上でしゃがんでいる姿を取り上げている。ニャチャンの市場の食堂の風景で、「市場の立てヒザ率高し!」と解説がついている。私は気がつかなかったのだが、著者がベトナムを旅行した1999年には、長椅子の上でしゃがんで食事をしている人がいくらでもいたということらしい。
 長椅子に乗って食事をしている姿を、21世紀の日本のテレビでも見た。NHKBSの 「世界ふれあい街歩き」ペナン編だ。
http://www6.nhk.or.jp/sekaimachi/archives/arukikata.html?fid=071106
 マレーシアのペナンの食堂で、客のうち何人かは、長椅子に低い椅子をのせて(もう一度書くが、椅子の上にまた小さな椅子をのせているのです)その上に尻をのせていた。ちょっと離れてみれば、長椅子の上でしゃがんでいるように見える。これは、しゃがんで飯を食っていた時代の名残だと思われる。
 『ベトナムのこころ』(皆川一夫、めこん、1997)によれば、数十年前のことだろうが、ベトナムの田舎の野外の映画上映会では、主催者が椅子を用意しているのに、客は椅子に腰かけず、椅子に乗ってしゃがんでいるという話を、しゃがむことの好きなベトナム人という話題のなかで紹介している。著者は、これをベトナム人の特性だとしているが、決してベトナム人だけの習慣ではない。インド人だって、よくしゃがむ。
 アジアでは腰掛式便器の上に乗りしゃがんで用を足す人がいることは、数々の報告で分かっている。「便器に上るな」という張り紙のある便所が、写真付きで紹介されている。
http://life.viet-jo.com/howto/life/47
 つまり、腰掛けるよりも、しゃがんだ方が快適という人たちが少なからずいるということだ。姿勢の話を考えていたら、食べる話と出す話がつながってしまった。「楽な姿勢」という点では、摂取と排泄の姿勢は変わらないということか。しかし、学校の椅子も、このように低いということはなさそうだし、姿勢や椅子の話は奥が深い。
 この話、長くなりそうなので、続きは次回にする。