あの低い椅子について考える 後編
ベトナムの低い椅子の話を続ける。
昔の東南アジアに、軒下や空き地を利用した固定式の屋台がまだなかった時代、食べ物屋は行商だった。場所によっては小舟を使うこともあったが、多くは天秤棒を使ったと思う。食べ物屋は中国移民の商いで、中国人は舟よりも歩いて商う方が得意で、その方が資金も安い。こまめに回れる。天秤棒の前後に食べ物やコンロをのせて運び、どこかその辺の適当な場所にしゃがみ込み、商売をしていた。麺の店も、天秤棒を使った行商だった。
この時代の写真は残っている。客はその場にしゃがんで食べるか、石かなにかに腰を下ろして食べた。商人のなかには、板の両端に棒をつけただけの低い椅子を用意している者もいる。地面が濡れている場合、椅子があった方が便利だからだ。タイでは、米の麺であるカノムチーンは、天秤棒で商っている者がいて、そういう椅子を用意しているのを1990年代に何度か見ている。こういう静止画はあった。赤いのが椅子だ。今はプラスチックだが、昔は木や竹で作った椅子だった。
http://blog.goo.ne.jp/takatoriasia/e/d9061062844b651728076b77370201ba
http://blog.livedoor.jp/hanazato_saku/archives/36706466.html
東南アジアの古くからの麺料理の行商は、こういうものだったと思われる。ちなみに、地上5センチほどの椅子(と言うより台か)、板の大きさは10センチ×20センチくらいで、両端に板がついているから、日本人には「下駄のようなもの」といえばわかりやすいか。この椅子は行商専用ではなく、家庭でも使う。近代的なスーパーマーケットでは売っていないかもしれないが、市場に行けば今でも売っている。この椅子に腰を下ろして、洗濯など洗い物をする。お尻が濡れなくていいし、椅子が高いと腰を前に曲げないといけないので、適度に低い方がいいということだろう。洗濯も料理も、今のように立ってやるのではなく、床の高さで行なう。しゃがんだり、床や地面に座ったりしてやるのだ。そういう姿が、多くのアジア人にとって「楽な姿勢」なのだ。
アジアの民は、元々しゃがむことを好むから、椅子が低いことなど気にしない(漢人だけが、早い時代に椅子生活に移った)。持ち運びに便利な小さな椅子が、野外の飲食店でも使われて。時代が経るにつれ、タイやマレーシアなどでは、木製の背の低い椅子は、背の高い金属製のパイプ丸椅子になり、1990年代あたりから、プラスチックの一体成型椅子に変わっていった。軽くて安いからだろう。行商型の飲食店が、一か所に腰を据えた商売にかわったから、背が高いものになった。
ベトナムでも、木や竹の椅子がプラスチックに変わっていくのは、やはり1990年代からなのだが、背が低いままだ。ベトナムやビルマで低い椅子が残った理由は、屋台商売が自由にできなかったからだろうと推察する。
第二次大戦後しばらくは、タイもベトナムも移動式屋台は天秤棒を使ったもので、大きな違いはなかったと思われる。タイでは自転車による行商が始まり、リヤカーを改造した屋台も登場する。リヤカーを使うなら、寸胴や食器や食材をとともに椅子やテーブルも積んで運べる。ベトナムやビルマといった社会主義国では、タイやマレーシアのようなリヤカー屋台の営業は認められなかったのではないか。小さな椅子をかごに入れ、天秤棒で運ぶような形態の商売しかできなかったのではないかと想像する。どこで商売しようが違法だから、警察から逃げるときも、椅子は小さいほうがいい。ラングーンの屋台商売と警察の戦いは、ビルマの小説『それを言うとマウンターヤの言いすぎだ』(マウンターヤ、田辺寿夫訳、新宿書房、1983)に詳しい。カンボジアの場合は、ポルポト時代とその後の空白があり、ラオスでは社会主義時代の経済活動の停滞があり、路上の外食産業がタイのようにならなかった。対仏戦争の混乱と、外食産業の中心となる中国系住民が元仏領インドシナ地域から脱出したことで、この3国の屋台がタイやマレーシアと異なる理由だろう。
ハノイのコーヒー屋も、「シャレたカフェテラス」という感じの店では、ヨーロッパのカフェにあるような椅子を使っていて、プラスチックの低い椅子ではない。一方、安飯屋では店舗を構えていながら、椅子は低いままという店もある。プラスチックの低い椅子の運命は、政府が路上の飲食店をどう扱うかにかかっている。