1567話 テレビの雑談

 

 ユン・ヨジョンがアカデミー助演女優賞を受賞した韓国映画「ミナリ」。ミナリと言えば思い出すのは、マンガ『美味しんぼ』だ。ミナリは「ニラに似た韓国の野菜」という解説がついていたが、ミナリはセリのことだ。セリとニラの区別がつかない人物が、そのマンガの原作者だという話は、348話で書いた。

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 テレビドラマはプライムタイムよりも深夜帯のほうがおもしろい。大地真央が主演のフジテレビ深夜ドラマ「最高のオバハン 中島ハルコ」(東海テレビ制作)の第3話を見ていたら、結婚詐欺を企てる男の役名が「小室敬」。やりやがったな。原作は林真理子だが、原作もこの名前か?

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 視聴率常時上位番組「ポツンと一軒家」は、ちょっと胡散臭いなと思っていたら、やはりそういう書き込みがあった。それは、「偶然にも」や「たまたま」が実に多いということだ。いまの日本の村や小さな町を歩けば、表に人が出ていないのは常識だ。いまはもう見なくなった「鶴瓶の家族に乾杯」では、路上で出会った人に声をかけたくても人がいないというシーンの連続だった。純農村の小集落で、いつもなぜか「たまたま」人に出会うのだ。また、訪ねて行った家が、「普段は住んではいないんです。時々来て、手入れをしているんです」というシーンに、いつも「たまたま出会う」。そして、取材時に、「たまたま」ほかの家族が訪ねてくる。テレビ番組はカネがかかっているから、「たまたま」を期待しては制作できないのだ。

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 橋田寿賀子がなくなって、追悼番組で「おしん」のダイジェスト版を放送していた。10年ほど前か、何回目かの完全再放送で、録画しそこなった第1話を除いて全編を見たと思い込んでいたのだが、見た記憶のないシーンがあった。どうも、前半に見落とした回があるようだ。

 1983年から84年にかけて放送したNHK連続テレビドラマ「おしん」は、放送していた時から大評判だと知ってはいたが、毎日ドラマを見るというような習慣はないし、興味もなかった。「ちょっと、見てみたいな」と思ったのは、1990年代に入り、タイ人と音楽の本を書こうとしていた時だ。時の大歌手、プムプワン・ドゥワンチャン(1961~1992)が新聞のインタビューに、「私の人生は、おしんのようです」と語っているのを読んで、「おしん」を見たくなった。タイだけでなく、アジア各地で「おしん」が大人気という噂は耳に届いていた。

 それから長い年月がたち、「おしん」を見た。なるほど、そうか。日本では過去の話が、アジアの多くの国々では現代劇だとわかる。貧しい農村で生まれた女の子は、街に出て女中になる。寝床とめしがついているからだ。都会生活に慣れてくると、24時間勤務の女中稼業が嫌になり、縫製工場か美容院で働く。悪い男や、悪い家族につかまると、もっとカネを稼ぐために水商売の世界に入ったり、体を売ることになる。ごくごくまれに、プムプワンのように大成功することはある。「おしん」で描かれたことは、1990年代のバンコクでよく見聞きしたことばかりだ。歌手スナリーは縫製工場で働いていた。

 1993年に来日したモーラム(伝統的な発声で歌う歌)の歌手プリッサナー・ウォンシリの風采は、屋台のお姉さんのようだった。「歌手で食えるようになるまで、なにをしていたんですか?」と聞いたら、「工事現場にいたわよ。ブロックやセメントを運んでいたわよ」と言って、笑った。きゃしゃな体で、よくもそんな肉体労働をとは思うが、バンコクの工事現場で働く女性を多く見ているから珍しくはない。

 「支度をしなきゃいけないので・・・」というので、楽屋のインタビューを終えてホールの客席に向かった。

 20分後、彼女がステージに現れた。ウソだろ、とんでもない美人だ。そういえば、「ミス・タイランド・ビューティー・コンテスト」の優勝者でもあるという経歴を、すっかり忘れていた。楽屋では、市場で果物を売っていてもおかしくない服装と雰囲気だったからだ。

 20分あれば、女は別人になる。女は化ける。プロは、徹底的に化ける。恐ろしい存在である。