348話 蛇足だが、再び韓国関連の話を 

 前回の文章を書いてすぐ、また、韓国関連のネタが見つかった。
 前回、『食客』というマンガの話をしたが、ついさっき近所のブックオフで、『美味しんぼ』(原作:雁屋哲、作画:花咲アキラ)のテーマ別特集編『美味しんぼ ア・ラ・カルト11 ―うまさ爆発! 焼肉&韓国料理―』(小学館、2005)が105円だったので購入。この本のなかに、「韓国食試合2」にムル・キムチ(水キムチ)の作り方を、韓国人が紹介しているシーンがある。「材料は、大根の葉、細いネギ、ミナリ・・・」とあって、欄外の註に、ミナリは「ニラに似た韓国の野菜」と説明をしている。なんだか違うような気がして、『食べ歩きが楽しくなる韓国料理用語辞典』(鄭銀淑日本経済新聞社、2005)やネット上のいくつかのサイトでチェックしたら、ニラではなくセリだと判明。ただし、日本のセリとの差異はわからない。この「韓国食試合2」が発表されたのは1989年のことで、「ミナリ」の実物を見れば、「セリのようだ」とすぐに気がつくはずだが、マンガになってしまってからだと、編集者も読者も、89年当時だと確認作業が今ほど簡単ではなかった。インターネット検索の時代はまだ到来していなかった。
 しかし、今ならこういうミスは犯さないかと言えば、現実にはいくらでもある。つまり、確認できる資料がどれだけあるかということよりも、作者や編集者がどれだけ確認の作業に熱心に取り組むかどうかという問題なのだろう。この本だって、雑誌初出時のまま訂正されずに何度も出版されているのだから。かつて、『美味しんぼ』のタイ料理編は、単行本化されてすぐ読んだことがあり、ひどい内容だったという記憶があるが、おそらく料理名なども含めて訂正されることなく、増刷されていることだろう。
 この本には、ほかにも気になる個所がいくつかあるが、あとひとつだけ書いておく。「韓国と日本 後編」に、『美味しんぼ』の主人公の山岡士郎のこういう発言がある。
「唐辛子は寒い気候のところで栽培すると、香りはすばらしいけど、辛みは低くなるんです。だから、韓国産の唐辛子は、タイやメキシコの唐辛子に比べると、ずっとおだやかで甘味があるんです」
 韓国産のトウガラシはすばらしいと言いたくて、こういう作文をしたのだろうが、原作者が少しでもトウガラシについて知っていたら、こういうセリフは書かないはず。日本にもタイにも、とても辛い品種のトウガラシもあれば、あまり辛くない品種もある。朝鮮半島で栽培されているトウガラシがあまり辛くないのは、韓国・朝鮮人がそういう品種を選び、改良して栽培してきたからだ。
美味しんぼ』といっしょに買ったのが、『僕は在日「新」一世』(ヤン・テフン著、林信吾監修、平凡社新書、2007)。著者は、1967年釜山生まれの韓国人。91年に日本に語学留学し、のちに日本の大学で学び、現在ジャーナリストとして日本で活躍と、著者紹介にある。
この本に日韓の食文化を比較した章があって、読んでいると、右手が鉛筆と付箋に伸びた。首をかしげる記述が出てくるからだ。
その1:「カレーは、韓国ではまず食べませんね」(93ページ)
 日本人の私が言うのも変だが、これは明らかな間違いだ。「韓国人は、日本人ほどはカレーを食べない」と言うならわかるが、「カレーをまず食べない」と断定してはいけない。韓国製のカレールーだって、売っているんだから。
その2:「日本に来て、初めて食べたものも、もちろんありますよ。トンカツも、そうですね。肉をああいう風に揚げるのは、ちょっと驚きました。肉は、焼くか煮るかして食べるものだと思い込んでいましたから」(94ページ)
 著者は、韓国で「トンカス」という料理を食べたことがなかったらしい。「トンカツ」が韓国語訛りになると、「トンカス」という名になり、外見はトンカツだが、肉が薄いので日本人にはハムカツのように見える料理が昔からある。日本式の肉が厚い「トンカツ」の登場も、もう20年以上になるような気がする。
その3:日本の韓国料理店に対して、こう言う。「少なくとも、韓国の料理だと称して、お客さんからお金をもらうのであれば、韓国の食文化の伝統に忠実であるべきだと思います」(99ページ)
 日本の「韓国料理」が本場韓国のものと違うと文句を言っているのだが、韓国の「日本料理」あるいは「日式料理」なるものが、本場日本の料理とどれだけ食い違っているのか、著者は気がついていないらしい。
その4:「韓国でも給食はパン食を基本にしていまして、これが、食文化を微妙に、いえ、かなり変化させてしまったということも、事実なのです」(101ページ)
 韓国の学校給食事情をまったく知らないので、すぐさま画像検索すると、数十枚の写真がたちまち出てきた。どういう写真か知りたければ「韓国 給食」で検索するといい。おもしろいですよ。給食の写真を眺めて遊んでいて気がついたのは、著者が書いているのとは逆に、米飯給食の写真がほとんどで、パン食のものはほとんどないのだ。ウェブ検索に切り替えて文字資料を読んでみると、「パンは出ない」といった記述を多く見かける。もうひとつ付け加えると、著者が「韓国ではまず食べない」と書いているカレーが、給食に出ていることもわかる。カレーライスだから、カレーと米飯があるということだ。
 さて、ここで教訓だ。韓国人が韓国のことを書いているからといって、無批判に信用してはいけないということ。例え、その人物が「ジャーナリスト」と名乗っていても、だ。
 著者が、日本人の私にさえ指摘できる誤りを書いてしまったのは、韓国体験が釜山の少年時代と軍隊時代しかないからだろう。大人になってから、韓国で社会生活をしていないらしい。日本生活が長いので、最近の韓国事情に疎いのだが、だからといって確認してから書くという手間をかけていない。これは、ジャーナリストとして失格だ。監修者はイギリスの専門家だから、韓国事情はわからないようだ。
 とはいえ、以前書いたように、梨花女子大学国際大学院副大学院長の手による『韓国人の作法』というウソだらけのトンデモ本もあるわけだが(アジア雑語林298話参照)、これは韓国関連本の問題というよりも、日々粗製乱造されている新書の質の問題だとつくづく思うのである。