781話 インドシナ・思いつき散歩  第30回


 ローヤルシティーで映画を その2

 正式の名前はたぶんあるのだろうが、その「凱旋門」の地下はショッピンセンターになっていた。成金ぶりではもっとすごいクアラルンプールやバンコクの高額ショッピングセンター(高額品を売っている店が集まっているが、どうも『高級』という語は使いたくない)はよく知っているから、とくにどうという印象はないが、20年ぶりにハノイに来たという人なら腰を抜かすほどびっくりするだろう。ハノイに近代的な地下都市ができているのだから。
 ここのスーパーマーケットは、ロッテセンターのスーパーと同じように、入り口で荷物を預けなければいけない。万引き防止のためだ。警戒が厳しいということは、それだけ万引きが多いということだろう。ベトナム人は、客が勝手に商品を手に取るというシステムに慣れていない。商品の食べ物を手にしたとたん、口に入れているということだってあるだろう。
 ロッテセンターのスーパーでは、イートインコーナーは店の角にあって、そこで飲み食いするには、手にした商品をコーナー入り口のレジで精算しないといけない。私はそれを知っていたから、冷蔵庫から冷たい飲み物を出し、レジを探し、精算してから、テーブルで飲んでいた。しかし、メガ・モールの、このスーパーには、構造的欠陥がある。イートインコーナーが、囲いもなしに売り場のなかにあるのだ。飲食物を手にした客は売り場のなかにあるレジで支払い、近くの席で食べることができるのだが、囲いがないので、精算しなくても飲み食いできる。だから、電車の検札のように、警備員らしき職員が、精算済みかどうかを調べるためにレシートを見せるように要求してくる。
 ひと休みして、さて、これからどういうルートで帰ろうかと考えながらモールのなかを歩いていたら、シネマコンプレックスがあるのに気がついた。ベトナム映画をやっていれば見たいと思って探すと、あった。3人の子供が田舎道を歩いているポスターだ。「おもしろそうだ」という予感はしないが、わかりやすいかもしれないという予感はした。
 発音記号を省略して、その映画のタイトルを書いておく。
 Toi thay hua vang tren co yanh 。直訳すれば、「私は緑の草むらに黄色い花を見た」となるが長いので、ここでは仮タイトルとして「草むらに黄色い花」としておく。発音記号なしのベトナム語も利用価値があり、Googleにこのベトナム語名を書き入れたら、Youtubeに予告編があることを教えくれた。ただし、この予告編、まるで予告編になっていない。これでは映画の内容はほとんどわからないが、まあ、画像の雰囲気はわかるだろう。きれいな画質だ。
https://www.youtube.com/watch?v=wmjiCP6R-7I
 開始10分前で、観客は私ひとり。1分前になって6人来た。ベトナム語はわからないのだから、映像だけで内容を理解しようと覚悟したのだが、ありがたいことに英語の字幕がついている。ベトナム語だけよりはずっといいが、誤読・誤解しているかもしれない。
 ざっとストーリーを紹介する。種々の要素を考えて、時代は1980年代だろうと想像する。田舎で暮らす貧しい家の兄弟。小学校高学年の兄と低学年の弟の物語で、兄が学業優秀だが、弱虫で身勝手なところがある。弟は純真無垢に描かれている。兄は同級生に好きな女の子がいるのだが、その子は弟と仲良くなってしまう。ある日、その子と弟が「お兄ちゃんが帰ってくる前に食べちゃおうよ」などと話をしているのを聞いて、腹を減らした兄は激怒して、弟を棒で殴打する、しかし、弟はままごとをしていただけで、弟も空腹だったのだ。
 兄の暴力で弟は半身不随になり、寝たきりの生活になる。しかし、弟は、「木登りをしていて落ちたんだ」と、兄をかばう。その後、女の子の家は火事になり、生活ができなくなった一家は村を出ていくことになった。実はこの火災にハンセン病が絡むのだが、それは省略する。ここまでは前半の物語。後半は妖精が登場する。この映画の冒頭で、森には妖精がいるという昔話が紹介されているのが伏線だ。
ある日、弟が寝ている窓の下に、黄色い花が散らばっているのに、兄が気づく。弟は言う。
 「森の姫がやってきたんだ」
 そのせいか、弟は立ち上がることができるようになった。兄はこの謎を解明したいと思い、森に入って調べると、本当に妖精のような姿の少女がいて、警護をしている男が「姫」と呼んでいる。
 間もなく、男が事実を明かす。彼の妻はオートバイの曲芸師で、大きな樽のなかを水平に走る芸をやっていた。ある日、娘が樽の上から母に黄色い花を差し出すと、それを受取ろうとした母はバランスを失って落下して、死んでしまう。自分のせいで母が死んだという事実に苦しんだ娘は、現実を離れて、「自分は姫だ」と言い出し、空想の世界で生きるようになった。父は娘をそのまま「姫」と呼んで、森の中でいっしょに生きていくことにしたというのだ。
 「姫」は兄弟と知り合ったことで、間もなく現実に戻り、弟の歩けるようになり、平穏な村の生活が始まった。
 長くなったので、続きは次回。