1239話 プラハ 風がハープを奏でるように 48回

 乗り物の話 その2 プラハ本駅 Praha hlavní nádraží

 

 チェコ語でnadrazi(ナードラジー)は「駅」で、hlavni(フラブニー)は英語ならmain、major、centralなどという意味だ。「プラハ本駅」と訳している資料が多いのだが、どうもしっくりこない。千葉中央、千里中央(大阪)、鹿児島中央などの例にならい、私はプラハ中央駅としたいのだが、問題がある。その話はあとでする。

 本駅か中央駅かなどといったことを考えていると、意外なことがわかった。中央駅関連の資料を読んでいたら、チェコ語の資料に、この駅のドイツ語の名称もあった。前回も書いたように、チェコは過去に「ドイツ語時代」があり、ブルタバ川を「モルダウ」とドイツ語で呼んでいた時代があったのだが、駅名も同様だった。だから、この駅をドイツ語で” Prag Hauptbahnhof“と呼んでいた。中央駅に関する情報をウィキペディアで読んでいたら、こんな記述があった。例によって、ウィキペディアの情報だから信ぴょう性に疑問はあるが、いちおう紹介しておく。

 中央駅(ちゅうおうえき)は、ドイツ語Hauptbahnhof(ハウプトバーンホーフ)の訳語で、都市交通の中心となる旅客駅のことである。ドイツ語圏やその周辺では、都市の中央駅はベルリン中央駅のように「都市名+中央駅」という駅名がつけられる。

 

 チェコは、かつて「ドイツ語圏」だった。だから、この駅はドイツ語で“ Prag Hauptbahnhof”、つまりプラハ中央駅だったのだ。そして、日本の「中央駅」という呼称もまたドイツ語からの翻訳語だったというのがウィキペディアの解説だ。

 さて、プラハの、この駅の話を始めるか。

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 線路は高架ではなく地面にあるから、ホームから地下通路に降りて駅舎に入る。駅舎は丘にあるので、地下通路を進むと、そのまま地上に出る。

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 プラハチェコ語でPrahaなのに、外国はなぜかPrag(ドイツ語)やPrague(英語)と別の名前で呼ぶ。

 このプラハ本駅は美しい駅ではあるが、使う出口によっては醜悪な駅でもあるという話は後回しにして、まずは駅名の話をする。この駅も、マサリク駅同様幾度か名前を変えている。

 1871年に、ウィーンとプラハを結ぶ路線の駅ができた。オーストリア皇帝にちなんで命名されたフランツ・ヨーゼフ皇帝駅が、この駅の最初の名前である。今日のアールヌーボの駅舎は20世紀初めから工事を始め、1910年ごろまでには工事を終了したらしい。

 オーストリアー・ハンガリー二重帝国の支配下にあったこの地は、1918年にチェコスロバキアとして独立した。独立の陰にはアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの働きがあったことに感謝して、この駅をウィルソン駅と改称した。1919年から1940年までの、この駅の名称だ。

 ナチスドイツに支配された1940年以降、「プラハ本駅」と改称されたものの、第二次大戦終了に応じて、ふたたび「ウィルソン駅」となった。しかしソビエトの支配を強く受けるようになり、1953年以降、ふたたび「プラハ本駅」となり、現在に至る。

 「プラハ中央駅」という名称が問題ありと先に書いたのは、マサリク駅も1953年から1990年まで日本語にすれば「プラハ中央駅Praha střed」だったからだ。今ここで取り上げているのは”Praha hlavní nádraží”という駅だから、チェコ語では違う名称なのだが、日本語に訳せばどちらも「プラハ中央駅」となってしまう。だから、この両駅を区別するために、ガイドブックなのでは、中央駅ではなく本駅という翻訳語にしたのだろう。

 ところで、「おいおい、なんてことを書くんだ」と言いたくなる記述を見つけた。チェコの資料を読むために、過去の『地球の歩き方』を買い集めた。初めて書名に「チェコ」が入るのは、『チェコ/ポーランド 91/92』(1991年)なのだが、発売当時はまだ「チェコ」という国はなく、チェコスロバキアが国名だから、問題がある書名だ。

 それはさておき、1991年に発売されたこのガイドブックのプラハの地図を見ていたら、「ウィルソン駅(旧プラハ本駅)」とあり、本文では「プラハ・ウィルソン駅」となっている。「いったい、いつの資料を使ったんだい!」と首をかしげた。ウィルソン駅という名称は、ナチス・ドイツソビエトによって葬られたはずで、そんな幽霊のような駅名が1991年発売のガイドブックに登場するのはおかしい。どうしてこういう誤記になったのだろう。ちょっと気になることがあって、引き続き交通関連の資料を読んでいると、謎が解けた。やはり調べてみるものだ。1980年末のビロード革命以後に混乱があり、ソビエトに支配される前の「ウィルソン駅」に戻そうとする人たちと、そのまま「プラハ本駅」にしておこうという人たちがいて、「ウィルソン駅」派は書類などでこの名を使ったのだが、定着しなかった。そんないきさつがあって、現在の「プラハ本駅」に落ち着いたという。

http://prahamhd.vhd.cz/Draha/hlavak.htm

 もう1点、説明しておかないといけないことがある。「このプラハ中央駅は美しい駅ではあるが、使う出口によっては醜悪な駅でもある」と先に書いた。醜悪というのはこういうことだ。

 鉄道でプラハに着くと、プラットホームから1階通路に降りて、出口に進む。プラハ本駅から乗る場合は、その逆となる。出入口はただのガラス戸だ。駅は丘にあるので、丘の下にも駅舎を作り、そちらを主要な出入り口にした。この駅前広場はホームレスのたまり場だから、鉄道でプラハに到着した人の第一印象は、あまりよくないだろう。写真ストックを調べると、そちら側の出入り口の撮影はまったくしていないのがわかる。

 プラハ本駅の見どころは、アールヌーボの駅舎だ。このドームを見るだけにわざわざ行く価値はあるのだが、プラットホームと出入口を結ぶ通路は、このドームの下をくぐる。だから、気をつけないと見逃すのだ。悪いことに、この美しいドームを出ると、見えるのは高架道路と新駅舎の屋上だ。交通量の多い高架道路だから情緒がない。空港へのバスはここから出る。この出入り口で今でも使えるが、利用者は極めて少ない。

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 駅の新館部分に行くと、ここにも「駅ピアノ」があった。

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  駅舎旧館部分。ガラス戸の向こうはカフェだから、ここにコーヒーを飲みに来てもいい。右手が高架道路への出口。

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 写真中央の下の暗い部分が、ホームから新館にいたる地下通路。だから、通路から見上げないと、頭の上にこういう見事な駅舎があることに気がつかない。

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 天井を見上げた。

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