1953話 『冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語』は・・・ 下

 

 山野を歩き回るときの食料に「オリジナル・トレイルミックス」というものがある。ハドレーー・フルーツ・オーチャーズ社の製品に入っているのは次のようなものだと説明している(32ページ)。

 「レーズン、加工ひまわりの種、加工かぼちゃの種、加工ピーナッツ、加工カシューナッツ、加工アーモンド・・・・」

この、「加工」って、なに? 原文を読みたい。

 「鉄鍋に入れた肉を一晩中灰の下で焼くと・・・」(36ページ)。なんだか変だ、これは熾火(おきび)や灰を鉄鍋のフタにのせて、上下で加熱するダッチオーブンのことじゃないかと思いつつ文章を読んでいくと、すぐあとにそういう料理法が出てくる。その説明文を踏まえて訳せば、「灰の下で焼く」という日本語にはならないだろう。

 単位の表記も気にかかる。108ページの文章。

「ソリの重さは100キロメートル(ママ)以上あった。極寒の地であることは承知しており、十分な燃料と食料を準備していた。総走行距離は2800マイルに及んだ。1日45キロメートル走れるときもあれば、4~5キロメートルしか走れないときもあった」

 単位はこのほか、フィートやオンスや摂氏・華氏など入り乱れる。「そういえば、そうだな」と思ったのは、メートル法を拒絶しているヤード・ポンドの国でも、カロリーはキロ表示なんですね。この本とは関係ないが、アメリカのようなヤード・ポンド、マイル・オンスの国が、世界に向かって「国際基準を守れ!」などとほざいているのは、ちゃんちゃらおかしい。

 この本にも興味深い記述はある。全体的に、あまり信用していない内容だが、「一応、参考に」という程度の文章はあり、付箋を貼った。私が調べている若者の旅行史に関する記述だ。

 38ページにアメリカのバックパッカーの歴史の話が出てくる。1900年初頭、ハイキングとキャンプの流行から、「バックパッキングという新しい言葉が生まれた」という。1920年にロイド・F・ネルソンが、今までにないリュックサックを作った。このリュックサックの誕生が、アメリカにおけるバックパッカーの正式な歴史(?)の始まりだと著者は書いているが、私は眉にツバをつけておく。ここでは詳しく書かないが、20世紀初めはバックパッカーの歴史における黎明期であることは確かだ。

 オーストラリアのバックパッカー史など、不勉強で、いままで気にもかけていなかったのだが、この本で少し事情がわかった。

 「1950年代になると」と書いているが、たぶん19世紀なかばか末あたりではないか。オーストラリアにもスタインベックの時代があった。仕事を求めて放浪する人たちがいた。「ワラビー」、「スワッグマン」、「スワジー」などと呼ばれていた。「イギリスのトランプやアメリカのホーボーと同じ種のもので、移動労働者を指して使われた」。

 その時代の放浪者を歌ったのが、「ワルチング・マチルダ」で、オーストラリアからはるか離れた日本の小学生だった私も知っているメロディーだが、歌詞の意味はたった今知った。

 職を求めて放浪する人とは別に、自然を歩く楽しみを感じる人たちが現れ、それがオーストラリアのバックパッカー誕生ということになる。わずか20ページほどの記述だが、参考になる。欧米そしてオーストラリアでは、20世紀の初めごろから、野山を巡る若者たちが現れる。バックパッカー研究は、そのあたりから始めないといけない。

 古き良き時代の登山の食料の話も、仰天だ。

 18851年のモンブラン登山隊。登山者5人、ガイド4人の買い物メモが残っている。自邸でパーティーをやるような食材だが、長いので飲み物だけ書き出してみよう(116ページ)。

 ヴァン・オーディネルのボトル 60本

 ボルドーワイン 6本

 サン・ジャン(ワイン) 15本

 コニャック 8本

 ラズベリーのシロップ 1本

 レモネード 6本

 シャンパン 2本

 肉類で「マトンの足4本」とか「小鳥の肉 85個」といった食材などもあるから、ヒマラヤ登山のように、ポーターが何人もいたに違いない。これだけの食材を使った料理を食べるのだから、地面に敷いたシートに座るわけはなく、相応の食器のほかテーブルや椅子も持って上がったのではないか。当時は、酒盛り登山は珍しいことではなかったらしい。