私のパソコン操作ミスで、このコラムの50回分くらいの原稿がきれいさっぱりと消えた。
思い出しながら原稿をまた書く自力復元を目指すか、業者に依頼して１万か2万円の費用を払うか迷ったが、業者を頼んだ方が楽だろうという結論に達し、すぐさまいつもお世話になっている業者に復活作業を依頼した。夜になって駆けつけてくれたが、「私の手に負えません」とサジを投げられた。
50回分のうち40回分くらいはすでに公開しているので、元原稿がなくてもいいのだが、未発表の下書き原稿が10本分くらいあった。10本ということは、2万数千字分の原稿が突然消えたのだ。原稿が消えてしまった痛手も癒えぬ今、記憶を頼りに涙ながらに書き直しの作業を始めた。感想や思い出を書くだけなら簡単だが、いくつもの資料を引用しながら書いた原稿を、また１から書くのは手がかかる。これを「徒労」と考えると情けないから、文章修行ということにしておきましょう。どうせ、ヒマなのだからと、やせ我慢。
さて、おぼろげな記憶をたぐってみるか。旅行と食べ物の話だ。
原書房から、旅と食事の本が４冊出ている。
『船の食事の歴史物語:丸木舟、ガレー船、戦艦から豪華客船まで』
『空と宇宙の食事の歴史物語:気球、旅客機からスペースシャトルまで』
『鉄道の食事の歴史物語:蒸気機関車、オリエント急行から新幹線まで』
このなかから、すでに『空と宇宙・・・』を読んでいて、1864話で紹介している。
次に読んだのが、これ。
『冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで』（デメット・ギュゼイ著、浜本隆三・藤原崇訳）。読み始めると、椎名誠さんがどこかで書評していそうな内容だなと思いつつ、ページをめくったのだが、すんなりとは読めない。『空と宇宙・・・』と訳者は同じだが、今回は、はっきり言えば、訳文があまりにお粗末で読む進めるのがつらかった。原著が日本人読者にわかりにくい語を使っているなら、訳文のなかか訳注などで、解説を加えてほしかった。
具体的に見ていこう。
「インドではパーンを噛んで空腹を紛らわし・・・」（15ページ）とあり、パーンの説明をしている。
「このパーンは檳榔（びんろう）の実、ライムの粉末、カムチュ（アカシアの木片の煎じ汁から作られた渋味の強い、高タンニンの赤褐色物質を包んだもの）を詰め合わせたものである」
よくわからない文章だ。「ライムの粉末」というのは、どうも想像できない。これは果物のライムではなく、もしかして同じ綴りの石灰（Lime）じゃないのか？ カクチュとは、なんだ？ ビンロウの学名はAreca catechu。アレカヤシというのもあって、それは別のヤシだからややこしい。Catechuという染料・添加物はあり、アカシアから作るようで、たしかにパーンに使うようだが、肝心のキンマ（コショウ科 Piper betle）の葉が登場しないのは変だ。パーンは英語なら、betle chewingというのに。
ピクニックの語源について、こう書いている（１７ページ）
「ピクニックという語は17世紀のフランス語の室内でたべるご馳走を意味するピク（刺す）－ニク（肉を）（pique-nique）という語に由来すると思われる」
ピクニックのニックが「肉」の意味だって？ ホント？ 原文がそうなっていたとしても、翻訳者は一応調べてみる必要はある。私の調べでは、ピクニックの語源はいくつもあるとわかる。
18ページに「ソーセージ肉」という語が出てくる。知らない語だから調べてみれば、ソーセージを作るときの、腸に詰める直前の肉のことらしいのだが、やはり訳注が必要だろう。このように、原文のカタカナ表記や直訳のままという訳文が少なくないのがこの本の特徴だ。その例をもう少し挙げておく。
「焙煎無塩せきナッツ」（34ページ）・・・発色剤無使用のことらしいが、もちろん説明はない。
「鍋肉」（49ページ）・・不明
「ロールドオーツ」（137ページ）・・・押しオーツ麦
変な日本語の文章が続くというのも、この本の特徴。以下、その例をちょっと。
アメリカの国立公園運動のきっかけを作ったジョン・ミューアに関する記述（27ぺージ）
「ミューアはそのスパルタ的な貧しい食事にもかかわらず、外でのトレッキングの際には大食感だったという。かれの友人であったウィリアム・キースはミューアがオートミール、クラッカー、紅茶、砂糖を、もっとも未開の地ともいうべき場所に数週間滞在したときに平らげたことに驚いている」
同じ27ページのミューアのことば。
「もしできることなら、よろこんで、壮大な独立のために、どんなに傾斜が酷くても松脂や松のつぼみの上で暮らしたい」
わかります？
