『タイ日大辞典 改訂版』は、ページを開けば、字が大きくなったのがわかる。読みやすくなっている。指をページに伸ばせば、紙が厚くなったのもわかる。総ページ数は、1997年版が2330ページほどなのに対して、改訂版は1630ページ程度になっている。つまり、700ページほど少なくなったということだ。ページ数が少なくなったとはいえ、1630ページ二段組みの辞書を校正する作業量は、出版を知っている者なら、尻込みする。1987年の養徳社版が出たときに、タイ文字が読めない私は2000ページの辞書の日本語説明文を読み、興味がある語は発音記号を見出し語にして自家製辞書を作ったが、校正はまったく違う作業だ。新たな編者になった赤木攻さんの仕事量は、師同様骨身を削るものだっただろう。編集者であるめこんの桑原さんは、タイ語が読めるから、タイ語も日本語も校正する。精緻に読み、考えなければいけないのだから、その苦労たるや想像もしたくない。しかも、校正は一度読めば終わりではないから、制作に時間と手間と覚悟が必要だということがよくわかる。簡単に改訂版はできないのだ。だから、『冨田辞典』と肩を並べる辞書が今もまだ出てこないのだ。
今回の編集作業で大ナタがふるわれて削除されたのは、「付録 動植物名彙」とタイトルされた550ページほどの動植物のタイ語、学名、一部日本語のリストだ。タイ語研究者ではない私は、この対照リストをよく使った。何かの文章を読んでいて、タイ語名はわかるが、「なんだ、この植物?」と正体を知りたいとき、この辞典で学名を調べ、その学名から植物事典で調べると、「なるほど、シソの仲間か」などとわかる。私はそういう使い方をしていて重宝していたのだが、まあ、ほとんどの日本人には用はないだろうから、削除はいたしかたない。需要の有無よりも、もっと重要な理由で削除した。それは、動植物のタイ語名(地方名も含む)に学名、和名をリストにした550ページの付録を校正するのは、タイと日本の動植物学者が協力しなければできない作業で、赤木さんが独力で校正することなど到底無理だ。だから、動植物のリストが削除されたのは仕方がないが、1997年版の「あとがき」は残しておいてほしかった。ここに冒頭部分を少し紹介しておこう。
あとがき
約5年間にわたる原稿書きと3台のタイプライターを駆使しての苦心憺樽たる印字作業で片方の腎臓を失うなどした命からがらの初版(1987年)と再版(1992年)の出版のことを、この第三版の出版作業を進めながら思い返している。この版では、他の類書と区別するために便宜的措置として「大」の字を加え、『タイ日大辞典』としたが、内容的にも大幅に改良を加えたことと、旧版にも増して大勢の方々の協力を得たという意味も込めている。
以下、協力した方々への謝辞が続き最後に、こう書いている。なお上記、「再版(1992年)」としているのは、「『改訂版』(1990年)」の誤りだと思う。
辞典づくりの生活環境を整え何かと助けてくれたのは、妻の冨田富美である。彼女は、慣れないパソコンを使って根気よく希少文字フォントの作成を手伝ってくれた。(中略)78歳を迎えた私は、今やわがこと終わりぬの感を強くし、喜びと感謝の直中にいる。
1997年9月15日
冨田竹二郎
この「あとがき」は胸に迫る。初めて冨田先生に手紙で教えを受けたのは1980年代後半で、辞書作りの話も手紙の文面にあり、「点滴を受けながら、校正しています」という手紙もくださった。考えてみれば、初版の辞書作りをしつつ、手紙をくださった1980年代後半は、今の私よりも若い。バンコクで初めてお目にかかり、雑談で大いに楽しませていただいたときの年齢が、多分今の私と同じだろう。冨田先生は、上の「あとがき」を書いて3年後に亡くなった。だから、命と引き換えに作った辞書の「あとがき」は、残しておいていただきたかった。