引き続き、『旅を生きる人びと バックパッカーの人類学』(大野哲也、世界思想社、2012)を取り上げて、考える。
私は原文を読んでいないのだが、『地球の歩き方 アメリカ』の1980年版には、バックパキングの4条件が書いてあるそうだ。大野氏によれば、次のようになるらしい。
・1カ月以上の長期間の旅。
・貧乏旅行。たとえば、1日3000円。
・予約しない旅。
・現地の文化に浸る。「次の目的地まで飛行機で移動するというような現地社会の生活とはかけ離れた方法は、バックパッカーにはふさわしくない。地元の人々が利用しているバスに乗ることで、現地社会の真正な文化を肌で感じることができるのだ」。
上記の文章を受けて、次の文章が続く。
これらの旅の四条件は「バスだけ」で香港からポルトガルまで旅した『深夜特急』の沢木耕太郎と価値観を共有しているばかりではなく、猿岩石が旅の途中で、じつは飛行機を使っていたことが判明した、その一点だけの是非をめぐって世論が沸騰したこととも通じている。
さて、まず「?」と思ったでしょう。沢木耕太郎でさえ、1974年の香港からポルトガルまで公共バスだけで旅行はできないのだ。大野氏は『深夜特急』を読んだのだろうか。読んでいなくても、この間違いには気がつきそうなものだ。それはともかく、猿岩石が非難されたのは、バックパッカーであるにも関わらず、飛行機に乗ったからなどという理由ではない。大野氏があげた四条件とは関係がない。猿岩石のふたりは、ビルマの出入国に実際には飛行機を使っていたのに、テレビ番組のなかでは「陸路をヒッチハイクで移動」とウソの説明をしていたから批難されたのだ。猿岩石を批判した者として、註では私と蔵前仁一さんの名前があげているが、ふたりとも、猿岩石が飛行機に乗ったという「その一点だけの是非をめぐって」批難したわけではない。
また、沢木も猿岩石も、「現地の文化に浸る」ことを目的にしたわけではない。
では、次の論はどうだ。
旅のマニュアル化にガイドブックが重要な役割を果たしたことは間違いない。しかし、それ以前からすでに、日本人バックパッカーは「常道をはずれる」「現地の文化に浸る」という冒険心あふれた表看板を掲げていたものの、実際はきわめて保守的に旅をしていたことがわかる。
この雑語林の前回のページを見直してください。イスラエルの研究者エリック・コーエンは、1972年に発表した論文で、”drifter”という名で呼んだ旅行者たちは、「常道をはずれる」人であり、「現地の文化に浸る」人だと、この本の前半で説明しているのに、後半になると、この説は日本人バックパッカーが掲げた表看板だと説明している。変でしょ。誰かが、「日本バックパッカー党宣言」でもしたのか? ほとんどすべての日本人バックパッカーが、数十年間にわたって、この「表看板」を掲げてきたのか? そんなことはないのだから、大野氏はもともとありもしない説を自分で作って、その説に対して理屈をこねているだけなのだ。百歩譲っても、「地球の歩き方」に誰かが書いた文章の断片が「表看板」だと言いたいのかもしれないが、日本人バックパッカーの表看板など、実際にはどこにもないのだ。大野氏は、ないものに対して、「保守的」だと批判しているにすぎない。
大野氏の文章は、文意不明なものと、意味はわかるが論の展開が間違っているものの両方がある。そういった例を次々に書きだしてみてもきりがないので、最後に次のような論を引用してみよう。
彼ら(前川注 バックパッカーのこと)は旅で恋愛をしたり詐欺に遭ったりといったような、非日常な経験を積み重ねていくことで自己変革を実感していく。詐欺や強盗などの情報は、ガイドブック、クチコミ、インターネットなどによって、具体的な事例とともにくりかえし報告されている。だが、その被害はあとを絶たない。ガイドブックに依存するという旅の方法が如実に示しているように、バックパッキングは商品化され、旅の経験が均質化してきている。
なんか変な論理だと思うでしょ。文意がつかめない。詐欺といえば、バンコクだと宝石屋に連れて行ってタダの石を「宝石だ。日本で高く売れる」と言って誘う犯罪がある。この犯罪のことは、地球の歩き方などガイドブックにも載っていて注意喚起している。だから、詐欺が減らない理由を、「ガイドブックに依存するという旅の方法・・・」と説明しているのは、口をあんぐりあいて、「アンタ、何言ってんの?」とつぶやくしかない。旅行者がガイドブックの全ページを精読するほど完全に頼り切っていれば、この種の詐欺はある程度防げる。いつまでも詐欺被害者が出るのは、ガイドブックに依存せずに、ホテルと交通の項だけちょっと目を通すくらいだからであり、いまではそのページさえ読まない旅行者がいるから、ガイドブックに書いてある犯罪に対する注意喚起の文章も読んでいないのだ。
社会学者や観光学者は、「均質化」とか「商品化」といったことばで遊びたがるが、まあ、なんとも内容のない論文だ。これが博士論文の骨子なら、京都大学の博士号なんざちょろいものだ。
付記:この本が参考文献としてあげている『文化交流学を拓く』(青柳まちこ編、世界思想社、2003)を注文してみた。モノズキダネ、アタシ。茨城キリスト教大学の教授たちが書いた本で、たった今届いた。バックパッカーについて書いた文章は、2分で読了。金返せ本だった。大学生のレポートだとしても、「並」の評価だなあ。