注文していた本年3冊目の便所本がきょう届いた。注文するときに、ついうっかりして総ページ数を確認するのを忘れた私がいけないのだが、届いたのは52ページの小冊子だった。”World Travel and a History of Toilet” (Jane Schauer , Kreav Pub. 2008)というたいそう偉そうなタイトルの本で、著者はイギリス生まれでオーストラリアに移住した大学教授(会計学)。著者のブログをチェックすると、小さな出版社も経営しているというから、この本も一種の自費出版だろう。夏休みにオックスフォード大学で、創作の授業を受けた話が「はじめに」に出てくるので、もしかすると、その授業の卒業エッセイがこの本の元の原稿かもしれない。
この本を手にとってまず思ったのは、日本でも西洋でも、便所本の書き手には女が少なくないという事実だ。以前このコラムで紹介した”Toilet of the World “も、著者はふたりの女性だった。『トイレの話をしよう』(ローズ・ジョージ、NHK出版、2009)はよく売れたらしい。日本でもトイレの雑学エッセイを書いている女性が多数いるし、奇書にして名著の『落し紙以前』(斎藤たま、論創社、2005)や,『水洗トイレの産業史』(前田裕子、名古屋大学出版会、2008)といった学術論文もある。
今回取り上げた小冊子は、トイレにまつわるユーモア旅行エッセイに、トイレのうんちくをちょっと加えたという程度の内容にすぎないが、まったくダメというわけでもない。
たとえば、前回の話と重なる次のような文章だ。
アメリカでは, ”toilet” の婉曲的表現として、通常”rest room”や”bathroom”の語を使う。数年前、アメリカはセントルイスに住む叔母の家を訪れたときのことだ。「すいません、トイレはどちらに?」とたずねると、叔母はさもおぞましいものを見るかのように私をにらみ、「『バスルームに行きたい』といいなさい!」と冷たく諭した。そして、叔母が私を連れていったのはバスルームではなく、その隣りにあるトイレの小部屋だった。
この文章で、イギリス人やオーストラリア人は「toilet」の語を使うことにためらいがないことがわかる。そもそも、toiletとは、フランス語のtoiletteが元の語で、これはtoile(布)+ette(小さいことを意味する接尾詞)でできている語だ。髪をとかすときに肩にかける小さな布が元の意味で、そこから転じて、身づくりをする、手を洗う、化粧をする、化粧をする場所、洗面所と変化していき、英語では便所の婉曲的表現で使われるようになり、アメリカではさらにもう一段婉曲的な語が必要になったというわけだ。
トイレの注意や禁止のサインで気になっていたのは、前回も書いたが、腰掛式便器に登ってしゃがんでいるイラストに×印がついているものだ。アジアの便所ならわかるが、ヨーロッパでこのサインはどういういきさつで生まれたのか気になっていた。この小冊子では、フランスではトルコ人が便器に登ってしまうからだと考察しているが、トルコ人に限らず、アジアやアフリカから「しゃがみ式文化」を持って西洋にやって来た移民たちに対する禁止マークだと推察したほうがいいようだ。ヨーロッパでも、カフェや学校など不特定多数が利用する共用便所では、南部の方は昔からしゃがみ式便器がかなり普及していたのだが、カフェなどでは順次腰掛式のものに変わりつつあった。ところが、その流れに逆行するように、移民の増大によって、しゃがみ式愛用者が急激に増えて、各地で腰掛式便器と衝突しているようだ。残念ながら、かのサミュエル・ハンティントンも、「トイレにおける文明の衝突」にはまだ気がついていないらしい。一応、解説をしておくと、しゃがんで用を足すのは日本人だけではないので、私はしゃがみ式便器を「和式便器」とは呼ばない。
著者がオーストラリアに移住してきた1969年のシドニー郊外では、まだ水洗式トイレの設備が整っていなかった。トイレは家の中ではなく、裏の納屋の一角にあり、木製の椅子の座面を持ちあげると下にバケツがあるというのが便器だった。バケツのナカミは、週に1回回収されていた。以前紹介したイギリス人のエッセイでは、こういう汲み取り式便所の場合は、新聞紙をトイレットパーパーにしていたという思い出話があって、イギリスも日本も同じだったんだなあと思ったものだ。新聞紙使用の話がわかる日本人は、50代以上か?
この本の著者のうんちくのなかで、日本に関するものはどうにもひどい。「日本人は衛生的見地から、腰掛式便器を嫌っている」というのは、そういう人もいるだろうから、間違いとは言わない。しかし、「だから、日本人は腰掛式便器に出会うと、便座に登り、しゃがんで用を足す」という解説はいただけない。あるいは、「日本では19世紀後半でも、女も男同様同じ小便器で用を足していた」というのも、完全に間違いとは言わないが、とても「正しい」とは言えない。このあたりの事情を詳しく解説すると長くなるので省略するが、ごく簡単に言えば、肥料としての糞尿は、場合によっては糞と尿を分ける必要があり、地域によっては男女とも同じ小便器を使っていたという例はある。
と、ここまで書いたところに、注文していた最後の1冊が届いたのだが、できればこの本には触れたくない。注文してすぐに、失敗したことに気がついたからだ。”Bathroom Book”という類の本で、てっきり便所本の一種だと思って注文したのだが、これは日本にもある「トイレで読む本」という雑学本で、トイレは一切関係ない。こんな、どうしようもない本をイギリスから取り寄せるんだから、無駄なことをしたものだ。まあ、しかし、著者を知らず、内容もわからずに注文しているのだから、トンチンカンな本が届いても誤差と考えるしかない。今回注文した食べる本(street food)と出す本の計5冊の勝負は、4勝1敗だから、好成績といってもいいでしょう。日本語の本を書店で選んで買っても負けること(つまらなかったこと)があるから、まあ、上出来だ。
来年も、このくらいおもしろい便所本が見つかるだろうか。