木造住宅 その1
建築の話を今しばらく続けたい。
バルト三国の旅はラトビアのリーガから始まったのだが、いままでのヨーロッパの街とはちょっと違うぞと思い、エストニアやリトアニアを旅すれば、その印象がより強くなった。都市部に木造住宅がいくらでもあるということだ。バルト三国をバスで走ったが、車窓から見える景色は、牧草地と森だった。ラトビアの首都リーガも、旧市街の川を渡ればもう森だ。
手前が市街地。川向うは深い森だ。
初めて木造住宅をじっくり見たのは、リーガ駅の裏手だった。そこは市場や倉庫があり、いちばん有名な建造物は、スターリンの威光を知らしめる科学アカデミーだ。あるリーガ人によれば、そのあたりはかつて治安の悪い地区として知られていたらしい。いずれ話をすることになる科学アカデミーに行ったら、まだ開館前だったのでその近所を歩いていて、木造住宅を見つけた。一見するとログハウス(正しい英語では、log cabinという)だ。丸太そのままではなく、角材にして積んでいるように見えるが、さて、どういう風に建てたのだろうか。
科学アカデミー周辺は、高層ビルとは不釣り合いな木造建造物が立ち並ぶ地域だ。
「『あの地域には行っちゃいけない』と、子供のころは言われたんだよね」と40代のラトビア人。ロシア人やユダヤ人が多く住んでいた地区に、ホームレスが入り込んでいたこともあって治安が悪かったそうだ。
多分、こういう建物はレンガ造りで外壁が木ではないかと考え始める。
これは住宅ではなく、会社だったのかと思う。
下の写真のように、もとは窓に木の扉があったのだろうが、取り外したのだろう。
ガラスを二重にするような余裕はない。
以下、ラトビア歴史博物館に展示してあった写真。たぶん、1960年代だろう。
3段並ぶ上の写真の真ん中、茅葺屋根の家の向こうに近代的アパートが見える。
新市街にも、今でも木造建造物は残っているが、長くなるのでその紹介は後回しにする。
不幸にしてバルト三国はソビエトに支配された結果、経済が停滞したまま放置された結果、保存することなど考えなかった木造建造物が「たまたま残ってしまった」。偶然にも残ってしまった木造建造物が、今は観光名所になっていることが、ラトビア人が書いたガイドブック『リガ案内』(アルタ・タバカ編、菅原彩・小林まどか訳、土曜社、2012)を読むとわかる。