1305話 スケッチ バルト+三国ポーランド 24回

 ソビエト時代のエストニア展から その4 バナナ

 

 ソビエト時代のエストニア展会場にあるいくつかあるモニターに、50代くらいの男がしゃべっているものがある。モニターの言語ボタンは、エストニア語、ラトビア語、英語、ロシア語とあり、そのすべてを本人がしゃべっている。その男の正体はわからないが、この催しの企画者かプロデューサーもしれない。言語を「英語」に設定して、しばらく話を聞く。結びの言葉はこれだった。

 「子供のころ、どうしても欲しかった物があったが、エストニアではどこに行っても売っていなかった。それが、バナナだ」

 つまり、現在中年になっている男にとって、少年時代を過ごしたソビエト時代というのは、「バナナが食べられない国」だったというわけだ。この話を聞いて、『バルトの人々とバナナ』とか『バナナと社会主義』といったテーマが頭に浮かんだ。名著『バナナと日本人』(鶴見良行)は、バナナ生産国の人々と日本人をテーマにした本だが、バナナが育たない土地で、しかも輸入制限をしていた国々の人々にとって、バナナはあこがれの果物だったという歴史を、1950年代生まれの日本人である私もその経験を共有している。

 韓国ドラマを見ていると、バナナが高価だった時代がうかがえる。「応答せよ! 1988」という韓国ドラマでは、1988年には、アイスクリームが250~350ウォン、タバコが300から600ウォンに値上げしたという話が出てくる。そして、バナナ1本が2000ウォンだ。だから、貧しい家庭では、何かの祝い事の時に、精いっぱい無理をしてバナナ1本買って、家族で分けるか、子供たちだけに食べさせた。ひとり1本などというぜいたくは許されない。

 日本でも事情は同じだが、時代が違う。私の記憶では、「バナナはとても高価な果物だ」という意識があったのは、1950年代か、もしかして1960年代前半ころまではあったかもしれないが、1960年代後半になると、「高いが、買えないわけじゃない」というくらいの値段になっていた。

 エストニアのバナナ事情を調べる時間はなかったが、ラトビアでは英語が達者な人に会うと、「ところで、ちょっと教えてほしいのですが…」と言ってバナナの話を持ち出した。

 20代の人たちは、「バナナは高価」という記憶はない。中高年の人たちは、もちろん子供時代にバナナなど輸入果物は高価だと知っていたし、バナナはどんなものか知ってはいたが、子供のころは見たこともなかったという人が何人もいた。特に農村育ちならなおさらだろう。60代の女性の話はなかなか興味深かった。

 「だいぶ前に死んだ父の話ではね、ソビエト時代以前(1940年以前)にはリーガでもバナナは売っていたが、ソビエト占領時代になると、市場から輸入果物は姿を消したそうです。だから、私の子供のころのリーガでも、バナナは外国人や政府高官などが出入りする高級なレストランとかホテルとか特別な商店などにはあったそうですが、私は実際に見たことはなかったわね。でもね、母がそういうレストランに勤めていたので、1度だけバナナをウチに持って帰ったことがあって、そのとき、初めてバナナを食べました」

 今、バルト三国のスーパーでバナナを買うと、店や品種によって違いがあるが、1キロ1.5ユーロくらいだから、200円か。

 東ドイツ人とバナナの話は、次のブログで。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881111406/episodes/117735405488119779

http://www.pandapanta.com/archives/5964838.html

 

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 別の機会にきちんと紹介する予定のラトビア鉄道歴史博物館には、往時の駅構内がミニチュアで再現してある。駅のカフェをよく見ると・・・

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 カウンターにバナナがあるではないか。私の失敗なのだが、このミニチュアの時代設定を博物館員に確認するのを忘れたせいで、「往時」がいつかわからない。ほかの展示では、ソビエトに占領される前の、おそらくは1930年代あたりではないかと思うのだが、カフェのテーブルや椅子はもっと新しい感じがする。ソビエトによる占領前という時代設定なら、「占領前にはバナナはありました」という話に符合するし、この展示を見ていたラトビア人の話では「バナナは、ある所にはあったようです」ということなら、外国人も多く利用した駅のカフェにバナナはあったかもしれない。

 

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 エストニア国立博物館にあった写真。残念ながら説明はなかった(気がつかなかっただけか?)1970年代か80年代あたりの写真だろう。あこがれのバナナとパイナップルを前に記念写真。たぶん、ごく普通の労働者階級の家族ではないだろう。

 

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 リーガのある日の夜(暗くはないが、9時過ぎ)。レストランに行く気がしなかったのでコンビニに行くと焼いたソーセージがうまそうで、細いバゲットで挟み、コーヒーの夕食にしようとしたら、「これ、安くするわよ」と処分品のサラダを勧められ、ついでに朝飯用のバナナも買った。サラダはクルトンが入り、ゆでたまごが1個入っているので、この夕食で満腹。スーパーなら安い水がいくらでもあるが、コンビニではevianなど高めの水しかなかった。