1689話 タイのちょっとうまいもの その3

 ヌア・ヤーン 後編

 

 前回、タイ東北部を意味する語の発音は、ウィキぺディアなどが書く「イーサーン」ではなく、「イサーン」だと書いた。私のブログを読む人はあまりに少ないので、ウィキペディアが訂正されることはないが、この単語の発音を示しておく。タイ語簡易辞典の右側「>>」をクリックすると、「イサーン」という発音が聞こえる。

 さて、牛肉の網焼きステーキの話も続く。

 ヌア・ヤーンは別名「スア・ローンハイ」ともいう。「虎が泣く」あるいは「泣いている虎」という意味だが、そのいわれや意味についてさまざまな人がさまざまな説を唱えるが、「わからない」というのがもっとも正しい説だろう。だから、ここでは深入りしない。

 私がよく通ったのは、バンコクの歓楽街のひとつ、ナナ・プラザ近くの路上で店を出していた屋台だ。ナナ・プラザに通っていたわけではなく、当時、私が住んでいたご近所でもっともうまいヌア・ヤーンを出す店が、たまたまそこだったというだけだ。

 「ヌア・ヤーンちょうだい」とおやじに言うと、脂肪のほとんどない牛肉の塊から厚さ5ミリほどの肉を切り出す。小さめのステーキといったほどの大きさだ。親父は小鍋に、包丁でつぶしたニンニク(もちろん、皮つきの小粒のもの)やナンプラーなどをいれて、切った肉も入れて下味をつける。日本でも昔、魚を焼くのに使っていた太い針金の魚焼き網で挟み、七輪の炭火にのせる。次に、同じ小鍋にナンプラー、プーカオトーン(あとで説明する)、マナオ(ライム)、カオ・クワ(炒った米を粉にしたもの)、ニンニクなどを混ぜ、小鉢に入れる。これがつけダレだ。ネットの情報を見ると、大量の粉トウガラシを入れる人やカキ油を入れる人もいて、「これが決まり」というものはないと思う。最低限の決まりは、厚切りか薄切りかの違いはあっても、牛肉の切り身を使うことくらいかもしれない。レストランでは炭火の直火ではなくガスで加熱したフライパンで焼くのだろう。

 ウェルダンに焼いた肉をひと口大に切り、生野菜とともに皿に盛られる。もちろん、東北タイの主食であるおこわももらう。タイで食べるモチ米の飯は「タイのとってもうまいもの」のひとつだ。寒い日は牛肉スープももらうのだが、のんびり食べていると、スープの表面が牛脂で白くなる。熱帯といっても、12月や1月には、そのくらい寒くなることもある。ヌア・ヤーンは調理に時間がかかり、食べるのにも時間がかるから、路上の人々を眺めたり親父とちょっとした世間話をする時間が、ひとりで夕飯を食う外国人の楽しみである。

 説明を後回しにしたプーカオトーンについて話をしよう。プーカオトーンは、バンコクの人工の丘に建つ塔で、「黄金の丘」をさす。その塔を会社のマークに使った調味料会社の名前であり、醤油味の調味料そのものもその名でいう。

 プーカオトーンの英語名はGolden Mount Seasoning Sauseといい、この種の調味料の総称をタイ語ではソート・プルン・ロットという。「味を引き出すソース」とでもいった意味だ。ソートというのは、「ソース」のタイ語訛りだ。似た調味料にマギーというのもあり、これもメーカー名だ。親会社はスイスのネスレだ。その昔、外国で醤油が手に入らなかった時代、日本人旅行者はマギーを目玉焼きなどにかけて、日本を感じていたように、これらの調味料は「醤油のような」物なのだ。例えていえば、今は日本でよく売られるようになった「だし醤油」や「麺つゆ」のようなものだ。

 タイ人はシンプルな味を「味が薄い」という。日本料理の「醤油で味付け」というだけでは満足できないのだ。炒め物に、魚醤油ナンプラー、甘口大豆醤油のシーユ・ダム、そしてカキ油やプーカオトーンなども入れる。既成の調味料をいくつも投入するのも、現代タイ料理の特徴だ。