2090話 続・経年変化 その54

植物 6 パクチー

 ここでもう一度、タイでパクチーと呼ばれている植物について復習しておく。パクチーコリアンダー)とパクチー・ラーオ(ディル)に関してはすでに説明した。ディルはバルト3国で度々口にしていて、私にも臭さをまったく感じさせない珍しいハーブだ。その話は、1335話で書いた。

 パクチーファラン(西洋パクチーの意)と呼ばれる植物は2種ある。ひとつはパセリだ。もうひとつはオオバコエンドロ(学名:Eryngium foetidum)だ。コリアンダーと同じセリ科だが、コリナンダ―よりもなおいっそう臭い。バンコクの食堂ではあまり出会わないが、イサーンではよく使う。

 ラオスコリアンダーについて、めこんの桑原さんは私に代わってラーオ語の先生に質問してくれた。以下は、その解答だ。

 「ラオス語:ຜັກຫອມປ້ອມ パック・ホーム・ポーム→ຫອມは香りがいいという意味。ປ້ອມというのは丸くごちゃごちゃ固まっている状態を指すそうで、コリアンダーは葉っぱが長細くなく、丸く固まっているからだということです」

 私もホームは「香りがいい」という意味だと思ったが、タイ語の辞書ではパクホームで、ネギなどの植物をさす語だと説明されている。綴りは同じだから、どちらが正しいとは言えない。ホーム・デーンは赤タマネギ、トン・ホームはネギだ。pomの意味も分かった。

 ところが、新たな疑問もわいてきた。ラーオ語の「パクシー」についてだ。前回説明したように、ラオスでパクシーと言えば、ディルのことをさすのだが、この先複雑な話になる。ラオス人がタイ語パクチーを発音すると「パクシー」になってしまうのだ。タイ語で朝は「チャオ」だが、ラーオ語では「サーオ」になる。だから朝市はタイ語だと「タラート・チャオ」だが、ラーオ語だと「タラ―ト・サーオ」になる。タイ語でサーオは娘、少女のことだから、タイ人には「少女市場」のように聞こえて、なんだかなまめかしい。タイ語とラーオ語にはそういう違いがある。

 とすると、タイ語パクチーラオスでパクシーになっても、言語学的にはおかしくないのだ。しかし、ラオスでパクシーというと、タイでパクチー・ラーオ(ディル)と呼んでいるハーブなのだ。コリアンダーを意味する中国語のひとつに荽があり、中国南部の発音ではsuiやsaiのような音になるから、パクシーのシーが荽である可能性がでてくる。とすると、タイでは、パクシーからパクチーに変わったのか。植物学にも言語学にも素人の私が想像できることはここまでだ。いろいろ調べてみたが、パクチーの「チー」の意味は、結局わからなかった。

 言語学的なことはともかく、日本ではパクチーの受容史がすさまじい。「パクチー料理専門店」や「パクチー・ラーメン」など、タイにはもちろんない。「パクチー・ラーメン」というベトナム製袋麺が日本で売られているが、ベトナムにラーメンはないのだし、ベトナム語コリアンダーは「パクチー」ではなくザウムイ(rau mùi)だから、この袋麺の正体がわからない。おそらく、日本向けに特別に製造したものだろう。ちなみに、ベトナムの有力インスタント麺メーカーはエースコックだ。

 タイ料理がどんどん日本に入ってきて、テレビで目や耳にする機会が増えている。無印良品に行けば、タイカレーのレトルトパックに「レッド」と「グリーン」があって、タイ料理店などない地域に住んでいる人でも、家庭でタイ料理を味わえる。輸入したタイ料理の缶詰を扱う店もある。業務スーパーにも、タイ食品が増えた。ウチの近所のスーパーのお惣菜売り場に、パッタイ(タイの焼きそば)があった。食べていないが、米の麺じゃないような気がする。

 あるとき、無印良品でカレーの品定めをしていて、目が止まったことがある。「これは、日本人には無理だよ」と思っているケーン(辛い汁物、日本ではカレーと表記される)だ。

 「素材を生かしたカレー イエロー」というのは、ケーン・ルアンという南タイの料理で、とてつもなく辛いのが特徴だ。

 「素材を生かしたカレー ゲーンパー(森のカレー)」というのは、わかりやすく言えば(かなり違う味だが)、ココナツミルクが入っていないケーン・ペット・デーン(赤いカレー)だから、甘さはなく、辛さと塩辛さがストレートに舌とノドを襲撃する。

 この2品とも、バンコクの料理屋にはあるが、食堂にはあまりない。ケーン・ルアンは南タイ料理店にある。ケーン・パーはココナツミルクを使わない北タイの料理だから、バンコクの食堂や屋台ではあまりなじみがない。バンコクで生まれ育った中国系タイ人だと辛くて食べられないかもしれない。外国人向けにアレンジしていなければ、日本人にも辛すぎる。

 この2品のほか、バンコクでさまざまなケーンが食べられるのが、レストランだ。そういう高級料理で出すケーンを、めいっぱいマイルドにして、日本人御用達の味にしたのが無印良品のラインアップなのだろうと想像しているのだが、食べたことがないので、その味の実情は知らない。

 1973年に初めて口にしたあの臭い草は、その後50年ほどたっても私の嗜好に経年変化はなく、相変わらず臭くてたまらない。

 というところで、パクチーの話は、これでおしまい。