1968話 それぞれの人生

 テレビ番組で、ある雑誌の編集室を映していた。編集者たちのなかに、その雑誌のアートディレクターがいて、画面に彼の名が出た。「もしや・・・」と思い、じっと顔を見ると、確かにそうだ。その名と顔に記憶がある。老いているが、間違いない。会ったのは、お互いまだ20代のころで、彼はたぶん、私よりも数歳若いにしても、ぎりぎり60代というところだろう。彼が健在で、しかも現役だということがうれしかった。

 彼と親しかったわけではない。会えばあいさつくらいはするが、お互いの名前を知っているという程度の関係だから、今どこかで出会っても気がつかないが、名前と顔のセットだから思い出せた。1980年前後あたりの出会いだ。その頃、何人ものライターやカメラマンやグラフィックデザイナーたちと出会い、いっしょに仕事をした。

 時が立ち、誰とも会わなくなったが、ときどきアマゾンで彼らの新刊書が出ているかチェックをすることはあった。おもしろそうな本を書いていれば、読んでみたかった。新刊書で見つからないと、氏名で検索した。雑誌に何か書いているか、それともブログで何か書いているか調べたことがある。

 もう十数年前のことになるが、ネット遊びをしていたら、あるライターの名がヒットした。ブログの文章だが、書いているのはまったく知らない人だ。

 「今、友人の葬式から帰ってきたところだ・・・・」という文章の中に、「友人」の名があり、それが私が検索していたライターだ。私がそのブログを読んだのは、公開されて数年後だから、その「友人」が60歳を超えたころだろう。

 1980年前後の知り合いで、その後も年賀状や移転通知などを送ってくる男がいて、ネットで今知ったことをすぐさまメールをすると、折り返し「知っています」という返事が来た。

 「葬式に行きました。ちなみに、前川さんが知っている人で、もう亡くなったのは・・・」と書き出された名前の列に驚いた。

 私と彼の共通の知人が十数人いて、そのうち6人がすでに亡くなっていた。所在不明がひとりいて、健在なのがわかっているのは、すべて私よりも若い人だ。私よりも年長の知人は40代か50代で亡くなったようで、60歳を超えて生きたのは、私がブログで死亡を確認した人だけだ。

 私と違って、みんな出版業界で不規則な生活と酒・タバコの日々だったが、そのなかでふたりはたしか健康オタクに改心したはずだ。テレビ業界の人と話をしたとき、「この業界の人間は、みんな早死にしますよ。長生きしたけりゃ、1日でも早くこの業界から足を洗ったほうがいいと、よく言われますよ」。

 その話を聞いたときはまったく実感はなかったが、その昔、一緒に仕事をした人たちが60を前にして次々と亡くなっているという現実に直面すると、出版業界も同じかなと思う。幸か不幸か、私は売れないライターで、毎日締め切りに追われ、ストレスを酒で解消するという生活とは無縁だから、今まだ生きているのだという気がする。

 そういうわけで、テレビで、あの時代の知り合いを見かけると、「健在でよかった」とつくづく思うのである。

 グラフィックデザイナーと言えば、ここ数年で菊池信義、戸田ツトム鈴木一誌各氏が次々に亡くなった。菊池さんには何冊も私の本の装幀をしていただいたし、戸田さんは『バンコクの好奇心』(めこん)を担当していただいた。

 『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠新潮文庫、2013)を読んでいて、すでに死んだ人のことを思い出していた。この本の最期近くに、友人たちに「どういう死を迎えたいか」というアンケートが載っている。カヌーイスト野田知佑は、カヌーに乗っていて事故にあい、行方不明がいいなと語っていたが、2022年病死。アルコール依存症だったらしい。目黒孝二(当時66歳)は、「75歳くらいで決着(死)をつけたい。競馬仲間が自分より先に死んでしまうと寂しいから」と回答している。実際に、2023年1月76歳で亡くなる。ほぼ願い通りだった。