1965話 私の1973年物語 その5(最終回)

 

 私が買うことになった2泊分の宿付きインド行き航空券を売っていた旅行社の広告を、どこで手に入れたビラで見たのかおぼえていないし、そもそも旅行社の名も覚えていない。弱小零細企業なのだが、なんだか怪しい。というのは、赤羽あたりの木道アパートにある会社でも「大丈夫か?」と心配になるが、その旅行社は原宿の明るいオフィルビルにあり、事務所が青山のマンションにもあった。経営者は30前後くらいの男で、ほかの社員の記憶がない。

 原宿のオフィスで、代金を支払ったのだが、説明会をするので、青山に来てくれと、事務所の地図が書かれた紙を渡された。何人かの団体旅行になるようで、参加者全員が生まれて初めての旅だから、注意事項がいくつもあるというのは、わかる。

 青山の事務所は何も物がないがらんとしたマンションで、すでに10人ほどが和室に座っていた。原宿オフィスで会った社長らしき男が、「説明会を始める前に・・・」といって、部屋の隅に行き、仏壇の扉を開け、経を唱え始めた。参加者の何人かは、両手を合わせている。

 おいおい、これはなんだ。仏教系新興宗教か? やばい組織に片足を突っ込んだかと心配になった。オウム真理教が話題になるずっと前だが、その当時から「インド⇒怪しい」という連想があり、これからどうなる事かと心配したが、経のあとは普通の説明会となり、入信の勧めはなかった。

 帰国後、友人が「安い航空券を扱っているとこ、知らない?」と聞いてきたので、原宿のその旅行社を教えた。「オレの旅では、なにもトラブルはなかったけど、何があっても責任は取らないよ。なんだか変な感じの会社で、創価学会のような仏教系新興宗教の匂いがするんだよな」と言った。友人は宗教2世で苦しんでいたから、余計なことを付け加えた。

 数か月後、友人があの旅行社に行き、情報を探したという報告があった。「お宅、創価学会なの? って聞いたら、違いますと言ってたよ」。

 私の旅では、社長は添乗員として同行したが、宗教の匂いはしなかった。宗教的な発言はほとんどなかった。社長は2年前にインドに来て、病気で苦しんだときに助けてくれたインド人がいて、その縁で事業を始めた。旅行業はそのひとつで、貿易のような仕事もしているらしく、その出張と添乗の仕事を組み合わせて、インド旅行に同行したようだ。

 社長がインドでお世話になったというインド人がホテルに来ていて、我々を半日デリー観光に連れていてくれた。

 話は翌年、1974年に飛ぶ。いつもの東京散歩の途中、当時はまだただの住宅地だった原宿竹下通りから代々木方面に歩いていたら、木造モルタルアパートがら出てきたのが、デリーで我々を案内してくれたインド人で、「こんなところで、何してるの?」と聞いてきたが、それはこっちが言いたいセリふだ。ひとことふたこと言葉を交わし、別れた。

 さらにその翌年の1975年。ヨーロッパからの帰国便が、香港で故障して1泊することになった。悪名高きエア・サイアム機だがそれはともかく、航空会社が用意した空港からホテルに向かうバスに、日本人旅行者が置いていったと思われる週刊誌があった。久しぶりの雑誌なので、ページをめくっていたら、グラビアに、あのインド人が映っていた。「インド人演歌歌手チャダ登場!!」。インドでも日本の歌をよく歌っていたが、まさか歌手デビューするとはね。