1660話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その8

 旅行雑誌「オデッセイ

 

 若者の海外旅行史のコラムは、下書き原稿がどんどん長くなった。あと20回分ほどあるから、2022年1月に足を踏み入れそうだ。ほかのテーマの原稿も、そのくらい書き溜めてある。ツイッターじゃないんだから、毎日更新じゃ読む方がつらいだろうから、隔日更新にしている。

 旅行雑誌「オデッセイ」に初めて出会ったのは、新宿紀伊国屋書店、通りからエスカレーターで2階にあがって右側の雑誌コーナーだったと思う。銀座でコックをやっていたころで、たぶん1976年ごろだろう。あのころの紀伊国屋はまだ「新宿の熱気」を残していて、手書きガリ版刷り、ホッチキス留めの雑誌も大書店紀伊国屋で扱っていたのだ。大書店に、そういう度量があった。「オデッセイ」のすぐそばに置いてあった小さな雑誌が「本の雑誌」で、もちろんすぐ買った。第8号か9号だったと思う。「本の雑誌」の椎名誠の雑誌紹介のコラムで「オデッセイ」を紹介したことがある。ガリ版刷り雑誌の特集だったろうか。そういう時代だったのだ。

 「新宿プレイマップ」の創刊は1969年、「ぴあ」は72年、「ビックリハウス」は74年。「宝島」の前身となる「Wonderland」が晶文社から出たのが1973年だった。そういう時代に、私は東京をふらふらしながら、外国に出る資料を探していた。

 オデッセイは紀伊国屋で買い、以後は編集部で直接買い、そのうちに編集の手伝いをするようになり、原稿を書くようになった。「オデッセイ」と「旅行人」の両方で原稿を書いたことのあるライターは、もしかすると私ひとりかもしれない。少なくとも、両社から本を出したのは、私ひとりだ。そういう体験をしているから、書かれることの少ない個人旅行の歴史を書き残したいと思っている。

 オデッセイ12号(1978年)を見ると、「オデッセイを売っている店」のリストが載っている。海外旅行の情報が欲しい人は、こういう店に入りびたり、ミニコミなどから情報を得ていたのである。

書店

紀伊国屋書店(新宿)

マップハウス(渋谷)・・・前川注、地図専門店で、一時三省堂本店1階に出店していた。

シコシコ模索舎(新宿)・・・前川注、今も現役だそうだが、90年代以降、行ってないなあ。

プラサード書店(西荻窪)・・・前川注、現在はナワ・プラサードと名を変えている。創業当時の事情や雰囲気はこの紹介文に詳しい。私は一度行っただけだな。

旭屋書店(池袋)

文鳥堂(赤坂、四谷)・・・前川注、赤坂店は狭い店だったが、欲しい本が多いという歩留まりのいい本屋だった。ノンフィクション関連資料が多くあったのは、TBS近くにあり、番組制作会社も近所にあったからではないかと想像している。国際交流基金フォーラム(溜池山王)でアジア映画を見るときは、わざわざ赤坂で降りて、文鳥堂に立ち寄った。

綾書店(新宿)

茗渓堂(御茶ノ水)・・・前川注、お茶の水駅前にあった登山専門書店。登山愛好者だけでなく、ワンダーフォーゲル部や探検部などの学生もよく顔を出していただろうと思う。場所柄、明治大学山岳部の植村直己も姿を見せていたかもしれない。そういえば、御茶ノ水駅脇に穂高という喫茶店があるなあ。

フライトチケット

秀インターナショナルサービス HIS(新宿区西新宿)

パイドパイパーフライトサークル(青山)

トラベルメイト(六本木)

ツーリストインフォメーションエンター(神宮前)

トム・グローバル(道玄坂

JISU Co(渋谷)・・・前川注、日本国際学生連合。当時、さまざまな団体が航空運賃などを割引する学生証を発行していた。学生だけでなく、26歳以下の「若者割り引き」というのもあった。ほかに学生団体は、SATA(Student Air Travel Associetion)やA.U.S.(Australian Union of Students)などがあった。バンコクの格安航空券会社のなかには、ニセの学生証を作り、その学生証で割り引き航空券を販売するところもあった。

海外情報センター(道玄坂

民芸品店

はるばる屋(吉祥寺)・・・前川注、吉祥寺店は2018年に閉店。

 上記の店や「元祖仲屋むげん堂」や旅行社などに出入りしていた客は、左翼崩れだったり、『地球の上に生きる』(1972)と読んでいたり“Whole Earth Catalog”に興味を持ったりするカウンターカルチャー青年とか、映画や民族音楽や民族衣装やヒッピー思想や自然食や、まあ保守本流の若者の生き方から一歩外に足を踏み出したようなといえばいいか、あるいはミニコミや「ガロ」や晶文社の本が好きないかにも「中央線沿線文化」に浸っていると言ってもいいような若者が多かった。反体制というよりも、非体制と言った方がふさわしいかもしれない。

 私はそういう若者ではなく、本と映画と散歩が好きなただのコック見習いだったが、「オデッセイ」が置いてあるような場所で、旅行情報を集めた。その時代のオーストラリアでは、旅行ガイド「ロンリープラネット」発行の準備をしていた頃だ。「地球の歩き方」が出るにはまだ数年ある1970年代後半だ。天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんは、鹿児島から上京した大学生だったが、本人曰く、海外旅行にはまったく興味がない漫画青年だったそうだ。

 インド旅行情報などほとんどなかった時代、インド航空機の到着時刻に羽田空港に行き、いかにも「インド帰り」という風体(ふうてい)の旅行者を見かけたら声をかけて、旅行情報を聞き出していたという若者もいた。そうでもしないと、日本では個人旅行の情報が手に入らなかったのだ。インドの実態がわからず不安な若者に、「行けば、わかる」という発言は説得力がない。なにしろ、「行った人」若者がほとんどいないのだから。