1948話 暑いというより熱い話 上

 

 熱帯アジアは暑い。もう少し説明らしき表現を加えれば、「蒸し暑い」だ。すぐに思いつくのは、香港だ。高層ビル群に囲まれた道路空間がたまらなく暑く、散歩していると倒れそうになる。気温は40度にはまだまだ届かないが、とにかく不快でつらいのだ。香港だと安宿でもエアコンが機能していた。1970年代の、かのチョンギン・マンションの安宿でも、エアコンが効いていたから、「暑くて寝られない」ということはなかった。

 当時の名で言えば、ビルマのラングーンの夜は、暑くて寝られなかった記憶がある。部屋にエアコンがあったが、「故障してます」という。大部屋を無理やり仕切った宿で、窓はない。宿の支配人の配慮で、廊下に扇風機を置いたが、たびたび停電するから、扇風機さえ使えない。

 乾季に入った4月のタイは、ジリジリと熱い。「暑い」よりも「熱い」と言いたいほどの痛さだ。だから、よほどの事情がなければ、4月5月のタイには行かない。

 不幸にして、その時期にいたことが2度ある。バンコクの街をしばらく歩き、書店に入りめぼしい本をあれこれ物色していると、黒いはずのTシャツが白くなっていることに気がついた。体から噴出した汗がシャツに沁みこみ、エアコンで乾燥し、塩が残ったのだ。タイ人が普段黒い服を着ないのは、それが葬式の時に着る服の色だからという話は聞いていたが、汗が目立つという理由もありそうだ。その日以後、タイで黒いシャツは着なくなった。

 私がバンコクで暮らしていた時は、エアコンとは無縁の生活で、扇風機を使っていたのだが、4月の気候だと扇風機では抵抗できな夜がある。暑くて眠れなくて、イライラし始めたので、避暑のためにチェンマイに行った。北部の街ならバンコクよりも少しは涼しいと期待したのだが、残念ながらバンコクよりも暑かった。その頃も貧乏だったから、エアコン付きのホテルなんてめったに泊まらないのだが、この暑さではもうがまんできない。おんぼろホテルのエアコン付きの部屋をとった。

 部屋に入り、エアコンのスイッチを入れ、バッグから洗面道具などを出している間に部屋は涼しくなり、ベッドに倒れるように横になり、すぐさま熟睡した。寝不足が続いていたのだ。1時間くらい寝たのだろうか、寒くて目が覚めた。シャワーを浴びて、遅い昼飯を食べに行こうと浴室に入った。服を脱ぐと寒く、とても水シャワーなど浴びることはできない。このクラスの安ホテルは当然ながら、温水シャワーなどないことがわかっている。だから、まずエアコンのスイッチを切り、窓を全開にして、外の熱風を取り入れた。椅子に座って数分待つと、額から汗が流れてくる。全身汗だらけになってから、安心して冷水シャワーを浴びた。

 遅い昼飯の予定が、街を散歩しているうちに早めの夕飯時になり、食後もちょっと散歩して、汗びっしょりになって宿の戻った。

 冷水シャワーを浴びて、エアコンのスイッチをいれ、ベッドに腰かけて、買ったばかりの本に目を通しているうちに眠くなり、部屋の電灯を消した。いつもはパンツ1枚で寝るのだが、エアコンをつけたまま上半身裸で寝ると寒いのはわかっているから、Tシャツを着て寝た。

 夜中に目が覚めた。寒いからではなく、エアコンがうるさいのだ。壁にかけるようなタイプのエアコンではなく、窓の外に大きな箱が設置してあるというエアコンで、唸り、震え、吠えているのがわかる。昼間は強烈に眠かったことと、街の騒音も大きかったから、エアコンの騒音があまり気にならなかったのだが、眠気がある程度おさまると、騒音が気になって眠れなくなったのだ。うるささと暑さを対比させ、どちらがまだがまんできるかを考えた結果、エアコンを切って、窓を開けて寝ることにした。そのまま朝を迎えた。

 チェンマイ2日目からは、行きつけの川べりの安宿に泊まることにした。あそこならエアコンなしでも眠れるだろうと予測して、その通りだった。