テレビで、映画「闇の子供たち」(2008)を見た。出来が悪い映画だろうと思っていたので映画館には行かなかったのだが、テレビで見ても予想通りひどい映画だった。
そもそも、原作である小説(梁石日著)もひどかったのだ。主題がどうのとか、社会性がどうかなどという前に、およそ、小説として商品になるシロモノでは ないのだ。細部があまりにひどいので、必然的に全体像もグラグラガタガタな粗忽話になっているのだ。この本を高く評価した人は、はたしてちゃんと読んだの だろうか。齟齬をきたすストーリー展開なのだ。ソコツ、ズサン、イーカゲンな本なのだ。
山ほどある変な個所から、具体的に例を書き出してみよう。テキストは、2002年の解放出版社版だ。大幅な訂正はしていないような気がするので、幻冬舎版には目を通していない。
148ページに、こういう文章がある。
「あの黒い服を着ていた男の眼を見ただろう。あの眼は何人もの人間を殺害している眼だ」。
その男が登場するのは、3ページ前の145ページ。
「警官が指差した方向を見ると黒いシャツに黒いズボンをはき、黒いサングラスを掛けた角刈りの男が腕組みをして立っていた。笛を鳴らして教頭の犬を自在に操っていたのはこの男だった。サングラスの中の目の動きがわからない」
サングラスをしている男の眼を、どうやって見たのかね。この部分に注釈を加えると、タイ人はこういう黒ずくめの服装をまずしない。暑いからだ。ヤクザ者だから黒シャツって、ハリウッド映画の連想?
こういうように、「なぜ、わかったの」とか「なぜ、知っているの」という疑問を抱かせる部分が、あまりに多いが、いちいち説明すると長くなるので違う話をする。
言語に関する不自然さも多々ある。
例えば、A新聞社のバンコク特派員南部浩之は、大学の後輩でバンコクのNGO団体で活動している音羽恵子のために、A社が集めたタイの犯罪資料を手渡したというシーンがある。100ページほどの資料を、NGOのタイ人スタッフたちが熱心に読んでいるのだ!
日本の新聞社が集めたタイの犯罪資料を、日本語が読めないはずのタイ人たちが熱心に読んでいるという奇妙な光景。A新聞社がタイ語で資料集をつくるわけ はないし、100ページの資料をタイ語に翻訳しなければいけない事情もない。前後の関係からして、日本語による膨大な資料をタイ人たちが読んでいるという シーンにしか読めない。そもそも、タイの犯罪資料を、日本の新聞社に頼るという話の筋が理解できない。
そして、そのNGO団体は、ある事件を告発するチラシを作った。
「主張文はゴシック体にして、その下に明朝体で、幼児売買春、幼児売買の実状について書き、政府の対策をうながした」というのだが、明朝体ですって? タイ人相手に日本語のチラシかい? 著者は、タイ語にも明朝体があると思っているんだろうか。
この本を精読すると、著者は伝聞と妄想でこの小説を書き、ちゃんとした取材をしていないことがよくわかる。とくに、カネが関係する個所がどこも変なのだ。売春の料金は取材したのだろうが、日常生活の物価がわからないようだ。
■ホテルの部屋でビールを注文した客が、50バーツ(150円)を渡し、「つり銭はとっておきなさい。チップよ」。コンビニで缶ビールを買ったんじゃないんだから、そんなに安くないだろ(154ページ)。
■「クラウスはタノムとセンラーに十バーツずつチップをあげた」(158ページ)のに、163ページでは「チップの1ドルを取り上げた」となって、手品のように10バーツがすぐに1ドルに変わってしまった。
■路上で子供が南部浩之にタバコを売りにきた。「その煙草を一バーツで買うと・・・」。1本1バーツ(3円)なら、箱で買うよりバラのほうが安いじゃないか。時代によって違うが、ひと箱50バーツとか60バーツとかする(339ページ)。
■シーロム通りのカフェで娼婦から情報を聞きだそうとする南部特派員は、「ポケットから十バーツを取り出しテーブルに置いた」。そして「おれの質問に答え てくれたら、二十バーツ出す」という(360ページ)。このシーン、映像でやったらお笑いコントだよ。10バーツって、30円弱だよ。わかりやすく言え ば、赤坂のクラブでホステスから情報を聞き出すとき、100円玉3個だして、「極秘情報を教えてくれ」と迫るようなものだ。子供のお駄賃じゃないんだから ね。
もっと書き出したくなったので、この続きは次回に。