小説『闇の子供たち』(梁石日)は、この世にもし「タイ検定」というものがあれば、「この本を読んで間違いを探し出しなさい」という設問の、絶好のテキストになる。校閲の練習本としては、なかなかに役立つ本なのだ。
■例えば、タイ人と「抱き合う」についての考察。
ナパポーン(女性)が、アチャー(男性)と会ったシーン。
「『半年ぶりかしら。お元気で何よりだわ』と抱き合ってあいさつした」(63ページ)
タイ人のあいさつは、抱き合うことじゃない。
■あるいは、養子の手続きの奇妙さ。
タイに子供を買いに来たドイツ人夫婦の話。「ドイツ人夫婦は養子縁組の書類にサインし、金を払って、翌日、トゥーンを連れてタイを去って行った」(183ページ)
子供はみやげ物じゃないんだから、出国にはパスポートがいるということを、著者は知らないのか。書類にサインするだけで、養子縁組は成立し、子供のためにすぐさまドイツのパスポートが支給されると思っているのだろうか。
■もっと単純な、間違い探し。
「ラマ四世通りからアッサダン通りに出て内務省に到着すると・・・」(69ページ)
内務省はたしかにアッサダーン通りにあるが、ラマ四世通りは、はるか遠くにあるので、こういう移動は不可能なのだ。
■オートバイに関する疑問もある。
「センラーを売った金で日本製の50ccの中古単車を買った」(108ページ)
これは、文章だけの意味では「日本から輸入した中古バイクを買った」とも解釈できるが、中古バイクの輸入は禁止じゃなかったかと思う(確信はないが)。 だから、タイの日系メーカーが製造した中古バイクということだろうが、それだと排気量が50ccというのは変だ。90〜200ccくらいの排気量じゃない だろうか。
■事務所に来た客にお茶を出すというシーンが、245ページにあるが、家庭でも会社でも、来客があれば冷水を出すのがタイの常識だ。
こうして書き出すときりがないので、これくらいにしておこうか。
「そんな瑣末なことはどうでもいい。重要なのは主題だ」という人があるかもしれないが、それは違う。細部がずさんだということは、取材がいい加減だとい うことだ。この本にはしばしば「地下室」がでてくるが、タイに地下室などほとんどないこともわかってない。物価がわかっていないということは、取材中に自 分でカネを払っていないということだろう。その程度のこともわからない人に、社会問題をえぐる小説は書けない。インタビューと妄想で作り上げた小説には、 説得力がない。リアリティーがない。現実感がない。タイを知らない人にはノンフィクションだと誤解されたようだが、幼児性愛愛好者を興奮させるだけの文章 にすぎない。
こんなひどい小説を映画化したというのだから、期待などできるわけはない。タイが舞台でも、見る気はなかった。だが、テレビでやったので、一応みてみたのだ。それが、まあ、という話は次回。