282話 ヤシ殻の椀を出ろ その1

 書店の棚に、ちょっと変わった装丁の本を見つけた。カバーの絵は日本画なのだが、なんとなく日本趣味の西洋人が書いた本の雰囲気があった。著者名を見て、「やはり」と思った。
『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーソン著、加藤剛訳、NTT出版、2009)のページをめくってみれば、常日頃、私が読みたいと思っていた、「個人&学問史」の範疇に入る本らしい。この先、このコラムの話題はさまざまに折れ曲がり、広がっていくが、しばし、おつきあいしていただきたい。今回のテーマに合わせ、意識的に文章の方向を広げて書いていく。まあ、話題を広げるというのは、なにも今回に限ったことではないが。
 「個人&学問史」というのは、例えば、「日本における朝鮮語学習史」とか、「日本人のインド研究史」といったテーマを、研究者の個人史とともに知りたいのだ。朝鮮語(韓国語)の学習史が典型だが、おそらく1970年代でも、朝鮮語を学ぼうとする者は、言語学者でなければ、共産主義者在日朝鮮人くらいだろうと思われていた。だから、今では考えられないことだが、朝鮮語を学べる機関はわずかしかなかった。このテーマでは、萩原遼の『北朝鮮に行った友と私の物語』(文春文庫)に詳しく、このアジア雑語林でも第191回で書いている。ただし、「萩原」を「荻原」と、よくある間違いを犯している。遅ればせながら、萩原氏におわびする。
 「個人&学問史」のタイ版は、『道はひらける ―タイ研究の五〇年』(石井米雄、めこん、2003)があり、南蛮研究では『わたしの旅路六十年』(松田毅一文藝春秋、1987)などがある。中国語研究では、戦前期までしか触れていないし個人史でもないが、『東京外語支那語部』(藤井省三、朝日選書、1992)が詳しい。
 この『ヤシガラ椀の外へ』には、ベネディクト・アンダーソンが語るアメリカの東南アジア研究史という話題があって、それはそれとして大変おもしろいのだが、わたしにはもうひとつの話題である、「ヤシガラ椀」の話のほうがより興味深かった。
 ベネディクト・アンダーソンは、1936年、中国の昆明生まれ。ケンブリッジ大学を卒業後アメリカに渡り、コーネル大学政治学を教える。現在、同大学名誉教授。国籍は、アイルランド
 アンダーソンの文章を初めて読んだのは、1991年である。バンコクのDK書店で、こんな本を手に入れた。
“In the Mirror  ― Literature and Politics in Siam in the American Era”
Edited and Translated by Benedict R.O’G . Anderson and Ruchida Mendiones,
Duang Kamol, Bangkok . 1985
インドネシアを専門地域とする政治学者だと認識している人物が、タイの短編小説集の編纂と翻訳をこなし、80ページほどの解説を書いているのがなんとも不思議で、もしかして同名の別人かもしれないと思ったが、著者紹介の文章を読めば、まさにコーネル大学の、あのアンダーソン教授の手になる本だった。ちなみに、この本は、現在はコーネル大学版で入手できる。コン・クライラット作の表題作「イン・ザ・ミラー」が秀逸。シロクロショーの男優が主人公の短編だ。
 このタイの短編小説集を出すいきさつを、『ヤシガラ椀の外へ』で、次のように書いている。
 1972年に、著者はインドネシアから国外退去処分にあい、以後26年間、入国拒否にあっていた。極秘で書いた論文が、ときの政権の怒りを買ったのである。学者がある国でフィールドワークをやるには、政権に反感を持たれたらおしまいだ。だからと言って、政権や独裁者や軍部におべんちゃらを言って、すり寄っていくのを潔しとはしない場合、そのバランスが難しい。
 自分のフィールドワークの地であるインドネシアを失ったアンダーソンは、しかたなく研究の場をタイに変えた。研究費をもらった1年ほどの滞在で、彼はタイ語学校AUAに通った。まずは、ことばを理解しようと思ったのだが、AUAは会話だけで、読み書きは教えない。そこで、タイの小説を読むことで、タイ語文の読解とタイ社会の勉強の両方を同時にやろうとしたのである。
 これが、ヤシガラ椀の外に出る行為だが、ヤシガラ椀って、何だ?という話は次回。