タイのタイ料理店 後編
タイのタイ料理店について、英語の旅行ガイドを使ってもう少し詳しく書いておこう。
私の手元にあるもっとも古い英語のタイ旅行ガイドは、”Guide to Bangkok with Note on Siam” (Erik Seidenfaden , The Royal State Railways of Siam , 1928)だが、ホテルの食事しか紹介していない。例えばオリエンタルホテルの場合、宿泊料はシングル11バーツ、ダブル15バーツで、「ランチ2.50バーツ、夕食3バーツ」とある。ホテルでの食事だから、西洋料理だと思われる。ちなみに、日本語による最初のタイガイドかもしれないと思う『暹羅案内』(1938)は三井が発行したものだが、その「飲食店」の項を見る。要約すると、こうだ。
屋台はあるが、タイ料理店はないから、ちゃんとしたタイ料理を食べたければ、タイ人の家庭に招待してもらうしかない。
“A New Guide to Bangkok”(Kim Korwong & Jaivid Rangthong , Hatha Dhip Companiy)は1949年初版で、たちまち品切れになったそうで、私の手元にあるのは1950年の第2版だ。バンコクのレストラン紹介の項には、西洋料理、中国料理、タイ料理(Siamese Food)の3グループに分け、タイ料理店は店名だけ6店紹介しているが、その内容はわからない。
“Guide to Bangkok” (Margaretta B. Wells , The Christian Bookstore)は、1958年が初版で、私の手元にあるのは1966年の第9版だが、どうやら内容は1961年版と同じらしい。このガイドの”Where to eat”の項を見る。十数年まえに読んだときに、赤で下線を引いたのだ。そうだ、すごいことが書いてあったのだ。
「一流ホテルのレストランの料理は悪くはないが、取り立てて特筆すべきことはない。ここバンコクは食事代が高く、ワシントンDCと変わらない」
4軒紹介しているタイ料理店の料金をアメリカドルで表記すると、ランチは2~3ドル、ディナーは5~6ドルだという。ここで思い出すのは、植村直己の記述だ。『 青春を山に賭けて』によれば、1964年のカリフォルニアの農園での労働は、1日6ドルから始まったという。これは農園の重労働の最低賃金ということだろうが、その日当でバンコクの夕食代が消える。こんな高額のタイ料理を食べるタイ人はいない。大金持ちの中国人は、豪華な中国料理を食べる。
1960年代のアメリカの物価を調べる。マクドナルドのハンバーガーは15セント、チーズバーガーは19セント、コーヒーは10セント。ポテトを加えても、50セントほど。1960年代の食料品価格リストを見つけた。これを見ると、冷凍のランチやディナーセットは49セント、肉や野菜なども50セントを超える商品はないから、1ドルの価値が高いことがわかる。それなのに、「バンコクの昼飯が2ドルかよ」というのがアメリカ人の感情だろう。
ついでに日本との比較もしてみる。1ドルが360円だった当時、2ドルは720円だ。例によって、『値段の風俗史』(朝日文庫)でその当時の物価を調べると、うな丼は400円、天丼は200円、日本橋たいめいけんのカレーライスは110円。ラーメンは50円くらいだった。バンコクのタイ料理店のランチが2~3ドル(720~1080円)が高額だったことがよくわかる。
1960年代に、タイのチュラロンコーン大学に私費留学した日本人がいる。親が山を売って作った留学資金だったが、「大学で、僕がもっとも貧乏だったと思うよ」という。当時、国立大学の授業料は月1000円だった。寮で暮らし学食で食事をしていた大学生にとって、タイでの大学生生活は貧しさが身に染みたそうだ。ホテル料金などから考えると、タイの物価は日本と同じかやや高いというのが実情だった。日本企業や役所などの「出張費相場」では、インドネシアは物価の最高額グループに入っていた。1950~60年代の東南アジアは、「物価の安い地域」ではなかったのだ。
ベトナム戦争当時にタイに来た米兵関係者向けのガイド”Guide to Bangkok Thailand”(The Pramuansarn Publishing house , 1970)には、数多くのレストランがリストに載っていて、”Thai Dishes”の項にも11店の名がある。その特徴は、英語の店名が多く、紹介文には”Romantic atmosphere”とか、“Thai Classic Dance show nightly”とあり、つまりレストラン・シアターだとわかる。ベトナム戦争時代のタイ料理店は、アメリカ人をはじめ西洋人相手の「エキゾチック・エンターテインメント施設」だったのだ。タイのタイ料理店は、タイ国内ですでに外国人向けのアレンジがなされていたのだということがわかると、アメリカで、日本で、ヨーロッパで、タイ料理が受け入れられた要因がわかる。