1537話 本の話 第21回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その1

 

 漠然とした話だが、食べ物関連の本はふたつに分けられるような気がする。実用書と非実用書だ。実用書は調理法紹介書と料理店紹介書のふたつに分けられるような気がする。それぞれの境界は明確ではないから、池波正太郎の食べ物エッセイは文学であると同時に、ガイドブックと考える人もいて、それでいい。学問的に言えば、民族学社会学や植物学や建築学などで扱う分野が非実用書だ。

 日本人が外国の食べ物について書く場合、1980年代あたりまで多くは「お料理本」だった。例えば、日本でどうすればイタリア料理を作ることができるかという本も、プロ用が主流の時代から、アマチュア用に変わってきて、扱う料理もヨーロッパ料理中心からアジア料理も入るようになった。1990年代の、エスニック料理ブーム以後のことだ。

 外国で料理を学んだ日本人が教える料理の本の次に登場した実用書は、食べ歩きガイドと料理図鑑だ。日本人が安価で自由に外国旅行ができるようになり、あるいは仕事や留学などで外国に長期間滞在する人が増えた結果の産物だ。料理図鑑があれば、その国ではどういう料理を食べることができるのかという予習ができて、しかも現実のレストランで、「これ」と指をさすだけで注文できる。そういう便利な本だ。

 タイの料理に関しては、そういうジャンルの本を何冊か持っている。もっとも古いのは、『地球の歩き方203 旅のグルメ タイ』(戸田杏子・佐藤彰、ダイヤモンド社、1991)だろう。この本はタイのレストランとそこの料理をタイ語の料理名とともに図鑑にしたものだが、それとは別に資料的価値がある。1991年時点の日本のタイ料理店事情もわかることだ。著者ふたりは、1990年に『タイ 楽しみ図鑑』(新潮社・とんぼの本)を出している。

 ほかには、『タイの屋台図鑑』(岡本麻里、情報センター出版局、2002)や『バンコク「そうざい屋台」食べつくし』(下関崇子アスペクト、2009)などがある。それぞれの本は、料理写真にタイ語の料理名にそのカタカナ表記、そして説明がついている。そして、ほかの国のこの手の本も英語の本も含めて、書き手のほとんどが女だという特徴がある。かなりの自信を持って言えるが、こういう料理図鑑は男のライターにはまず書けない。皆無とは言わないが、取材執筆できる男はとても少ないだろう。ガイドブックを作ってきた天下のクラマエ師はもちろん、長年「地球の歩き方」の取材執筆をしている前原利行さんも、「めんどくせ~」と言って、手を付ける気はないだろう。もちろん、私だってこんな大変な仕事は絶対にやらない。雑誌などのスポンサーがついて豊富な取材費があればいいが、通常は手間とカネ(自分のカネ)がかかって、しかも食べる気がしない料理も注文して撮影しないといけない。もちろん撮影すれば仕事が終了ではなく、それぞれの料理の現地語名に日本語の解説を書かないといけない。わからない調味料があれば、調べないといけない。手間がかかるわりに評価されない類の本だ。

 男でも、マニアとなればその分野の図鑑を作っているから、「図鑑作りは女の特技」と決めつけるのは正しくないが、現実の出版物では、料理の図鑑は圧倒的に女の世界だ。

 そういう大変な本の台湾料理版が、『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子 双葉文庫、2017)である。350品の料理を、ほとんどカラーで紹介している。もちろん、中国語とその読み方のカタカナ表記、そして説明がついている。

 350品を紹介しているということは、その2倍も3倍も取材しているということだ。取材のバラエティーを考えて食事をして、その料理を撮影する。インスタグラムなら撮影しただけで終わりだが、プロは料理のメモも書いておく。実は、私もタイに住んでいた時は、毎食そういう作業をしていたから、部屋を1歩でも出るときはバッグにカメラとストロボを入れていた。路上で偶然出会う料理を撮影しておくためだが、まあ、神経がくたびれる。

 私は台湾料理600品の図鑑でも読みたいが、定価が3000円だったら買わない。この文庫は、著者と版元の出血大サービス本ということか。1000円をはるかに超える文庫も少なくない昨今、全ページの7割くらいがカラーで684円は安い。「これは、売れるぞ!」と版元は判断したのだろう。売れてくれれば、ほかの国の料理図鑑も期待できるから、販売に協力したい。