1720話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その3

 資料を疑え

 

 『中国料理の世界史』は索引などを含めれば600ページほどの本で、そのなかの「第3章 タイ ―パッタイ国民食化・海外展開に至る道」はわずか22ページしかない。しかも、記述の多くは、タイ政治史の資料を読んだ読書ノートなのだ。タイの食文化に関する記述もあるが、タイの中国料理の話はあまり多くない。だからといって、これから書こうとしていることが「重箱の隅をつついている」わけではない。この本の全体にも通じていることなのだ。

 食文化の記述を読んでいて、眉に唾をつけたくなることがよくある。こういうことだ。

 例えば江戸時代に出版された本に、ある料理の名があることで、「当時、すでにそういう料理が食べられていたことがわかる」といった文章だ。当時の本に、ある料理が紹介されているからと言って、その料理が実際に存在していたかどうかわからない。その本の筆者が考えた料理である可能性もある。例え実在したとしても、どれだけ広く食べられていたかという調査もなく、「すでに食べられていた」と書くのは学問的ではない。そういう記述がよくある。

 『中国料理の世界史』の「タイ」の項、269ページにこういう文章がある。

 

 19世紀末までに、西洋式のアーモンドケーキやアイスクリームといったデザートのレシピが、英語版の『バンコク官報』(Bangkok Gazette)に掲載されるようになり、ヨーロッパの食品が、タイの国民に抵抗なく受け入れられていたことがわかる。

 

 「なんだ、これ?」と思うでしょ。バンコクで発行されたらしい英語の雑誌か小冊子のようなものにアイスクリームの作り方が載っているというだけのことで、「タイの国民に抵抗なく受け入れられていた」と書いていいのか。タイにおける製氷業の歴史などを考察せずに、19世紀の末のタイにアイスクリームがあって、タイ人は喜んで口にしていたと書くことができる根拠は、あるのか。「タイの国民に・・・」とは、全国民の何パーセントのことを言っているのか?

 私が常日頃不満に思うのは、こういう安易な記述だ。料理本の記述なんか、資料として信用してはいけない。現在、日本語によるタイ料理の本などあまたあるが、100年後に、「こういう料理が当時の日本では食べられていた」と書くようなものだ。その料理が、料理研究家のアイデア料理の可能性もあるし、普及度に言及するのは大い問題がある。料理書を実用書として使うには問題ないが、歴史的資料として使う場合は、下調べをしておかなければいけないという話だ。

 ポンコツライターが大学教授に対して言うのは変かもしれないが、こういういい加減な説明は、テレビではごく普通にあるが、学術書では禁じ手だろう。

 273ページにこういう文章がある。

 

 1932年6月24日、人民党が立憲革命を実行し、国王ラーマ7世(1925~35年在位)もそれを受け入れて、タイは無血で立憲君主制に移行した。その後には、宮廷料理を知る貴族がレストランを始めたり、料理書を書いたりして、宮廷料理の知識がバンコク社会に広まり始めることになった。

 

 286ページに「タイでは18世紀から現在まで、ラタナコーシン朝が続いているにもかかわらず、庶民料理とは異なる特別な宮廷料理が発展したわけではない」と書いている。つまり、「宮廷料理といった特別な料理はないのだ」と書いているが、このちょっと前のページには、貴族が宮廷料理店を開いたとある。おかしい。どういう貴族が、どこで、どういう料理店を始めたのか。なんら具体的なことは書いてない。フランスでは革命によって仕事を失った料理人が街に出て料理店を始めたのがフランスのレストランの誕生のいきさつだという説があり、それをそのままタイに応用しようとした説なのだが、いったい誰の説なのか。この部分に参考文献の提示はない。

 この話は長くなりそうなので、次回に続く。