1398話 ユーチューブ遊び 第3回

 酢と麺

 

 タイの料理には、狭義のタイ料理と中国料理があるという話をした。ここでは話を分かりやすくするために、マレー料理や少数民族の料理は考えないことにする。

 前回、タイ料理ではほとんど酢は使わないという話をした。酸味が欲しい時には柑橘類かタマリンドのしぼり汁を使う。

 「いやいや、タイ人だって酢を使う。飯屋のテーブルには酢に入った生トウガラシが常備されていて、麺を食べるときに酢も丼に入れるじゃないか」という反論が出てきそうだ。

 ここ何年もタイ料理に関する文章を読んでいないのだが、かつてはこういう表現が山のようにあった。おそらく、今も変わらないはずだ。

 「タイ料理は辛い、甘い、酸っぱい、塩辛いのすべてが合体したもので、その証拠に、食堂のテーブルには、ナンプラー、辛い極少トウガラシ入りナンプラー、酢に漬かった大型トウガラシ、グラニュー糖、砕いたピーナッツが必ず備えてある」

 こうした卓上の調味料はどこの食堂や屋台にあるわけではなく、麺料理店に限定したものだ。酢は中国の調味料であり、麺も中国起源だ。タイで現在食べられている麺は、20世紀になって中国人移民が中国南部、福建省広東省あたりから持ち込んだものだ(『文化麺類学』石毛直道)。そして、「炒める」という中国料理の技術とその道具である中華鍋がタイで普及するのはかなり遅い。中国人ではない者が中華鍋を扱って麺を炒めるというのは、おそらく、バンコクでも戦後になってからかもしれない。麺も酢も「炒める」という料理技術も、パッタイに必ず入れる黄色い豆腐もタクアンのみじん切りも、中国のものだ。黄色い豆腐はタイ語でトーフー・ルアン(黄色い豆腐)といい、中国語でも黄豆腐という。豆腐の水分をかなり取り、表面をターメリックで染めている。水分が少ない分、保存期間が長い。タイにもタクアンはある。大根の漬物でやや甘いので、日本人にはタクアンに見える。タイ語でチャイポーというが、これも中国人が持ってきたものだ。もやしもニラも中国人がタイに持ってきたものだから、ヤシ砂糖とタマリンドを入れること以外、このパッタイという料理にタイらしさはない。

 タイで食べられている麺の多くは中国南部から入ったが、中国の雲南省あたりからタイ北部に伝わった麺もある。日本人には冷や麦に見えるカノム・チーンだ。この麺はコメが原料の押し出し麺で、トウガラシやココナツミルク味の汁をかけて食べる。炒めないし、箸も使わない。手づかみかサジを使って食べる。

 このようなことをあえて書いたのは、パッタイを解説している人のほとんどはウィキペディアの情報をそのまま書き写しているからだ。1930年代に、コメが不足しているから政府はコメの麺の利用を促進したといった解説をしているが、論理的ではない。コメを粒でそのまま食べた方が無駄がないはずだ。

 ウィキペディアにはこういう記述もある。

 (首相は)「国民食コンテストを開催しており、このコンテストで優勝した料理は現在のパッタイに非常に似た形のライスヌードル料理であった。このコンテストでライスヌードル料理が優勝したのには、華人文化の影響の強い小麦麺の消費を抑えたいという政府の思惑もあった」

 日本語版ウィキペディアはほとんど英語版の翻訳なのだが、それはともかく、この文章を書いた人は、コメの麺はタイの文化であり、小麦粉の麺は中国文化だと考えているようだが、原料が何であれ麺は中国起源である。コメの麺は中国南部、小麦粉の麺は中国北部で生まれたものという違いがある。小麦ができないタイでは、もともと小麦粉の麺はそれほど普及していなかった。もし政府が小麦粉の麺の消費を抑えたいと考えるなら、小麦の輸入を制限すればいいだけだ。

 ピプンソンクラーム首相(在位1938~1944、1948~1957)がやったのは、タイ族に経済力をつけさせるために、小舟での商売を奨励したことだ。そのひとつが、小舟の麺料理店だ。汁そばだから、中華鍋はいらない。同時に、中国人に路上など公有地での商売を禁止した。こうした事実は、タイの現代史をちょっと勉強すればわかることだ。したがって、反中国人運動の一環として、首相がタイ族パッタイを作らせ広めたという説は大いにおかしいのである。

 乱暴な言い方ではあるが、金銭を稼ぐ行為は、ほとんど中国移民が担ってきた。タイ人(タイ族)はコメを作っていた。野菜も果物も畜産も飲食業も、中国人がやってきた。慈善事業も経済犯罪も、中国人がやった。独占したというのではなく、タイ人には経済活動の知識がなかったのだ。王族貴族は働くことを軽蔑していた。汗水流して働く奴は、前世で悪行を重ねたからだという思想だ。王制の正統性を輪廻転生に求めたのである。前世で極めて立派な行いを積み重ねた者が、現世で王族として生まれるという思想だ。