2095話 続・経年変化 その59

食べ物 4 柿

 10代20代のころに大好きだったのに、今は嫌いになったという食べ物はない。逆に、昔は嫌いだったのに、今では好きになっているという食べ物はいくつかある。

 まずは、柿だ。少年時代を送った奈良の山村は柿の産地で、秋になれば、自宅の庭の柿の木に実がたわわに育つ。自宅の柿さえ食べきれないのに、友達の家に行くと柿を出される。秋は、どこに行っても柿がついてくる。奈良を離れても、秋になると柿が箱詰めで届く。あまり食べたくないなあとためらっているうちに、柿はぐじゅぐじゅになってきて、ますます嫌いになっていく。ジャムにもならず、捨てるのは申し訳なく、ホント、手を焼いた。

 もしかして、柿って、うまいかもしれないと感じたのは50歳を超えてからだ。試しに1個買って食べてみれば、うまい。硬い柿はうまい。そういうわけで、年に何回かは、柿を買うようになった。奈良の山村で向かいの家に住んでいた妙ちゃんにその話をすると、「私も、柿が嫌いになっていたのよ」といった。柿責めの幼少時代を送ると、こうなるらしい。戦後の食糧難を体験した人で、「もう、サツマイモもカボチャも食いたくない。一生分以上食った」というのはたいてい男だというのは、どういうわけか。母はサツマイモもカボチャも好きでよく料理したが、父は決して箸をつけなかった。世界各地であらゆるものを口に入れてきた食文化研究者石毛直道さんに、「『これは、ごめん。食えない!』という食べ物はありましたか?」とたずねたら、「サツマイモとカボチャですね。そういう物しかない時代に育ちましたから、もう、うんざりです。いまでも」というので、笑ったことがあった。日本人の常識でいえばとんでもなく臭いものでも平気で食べているのに、「たかがサツマイモが」と思うのは世代の違いだろう。

 そう言えば、柿を食べるようになった50代くらいまで、そもそも果物はあまり食べていなかった。スイカとバナナとミカンくらいはたまに食べていたが、それくらいだ。タイにいたときは、ビタミンC補給とタイの果物調査という目的で、目についた果物は一応食べていたが、好んで食べていたのはバナナくらいか。

 奈良の山村で暮らしていた頃、トマトやピーマンがまずかったという記憶がある。ピーマンの炒め物が食卓に出てきて食べてみると苦いので、「これはおいしくない!」というと、母は「それじゃ、食べなくていい。ほかに何も作らないわよ!」と宣言した記憶がある。母は料理はそれほどじょうずではなかったが、ピーマンがまずかったのは時代のせいでもある。1950年代から60年代頃の野菜は、野性味があり、トマトは酸っぱく、キュウリは苦かった。ピーマンもとても苦味があった。今では、タマネギもピーマンもサラダにして生のまま食べることもあるが、昔はそんなことはできなかった。キュウリの端が苦いから、濃緑色の皮をむいていたのだ。