2096話 続・経年変化 その60

食べ物 5 辛味

 いつから辛い料理が好きになったのかはわからない。初めてインドやタイに行き、「辛すぎて、とても食えんぞ!」と感じた料理はひとつもなかった。辛くてうまい、辛いからうまいと感じた。ただし、私は並の辛味好きであって、タバスコ一気飲みとか、ハラペーニョハバネロのサラダが好きだといった並外れた辛味好き、あるいは辛味を感じない神経の持ち主というわけではない。自宅には粉末や輪切りのトウガラシのほか、トウガラシ調味料が各種揃っていて、適宜使用している。もちろん、コショーも山椒も花椒もあるし、自家製のプリック・ナンプラー(トウガラシのナンプラー漬け)ももちろんある。「辛そうで辛くない少し辛いラー油」に辛いラー油をたっぷり加えて、ニンニク風味の辛いラー油を作ったりしている。

 おそらく何千回かタイ料理を食べているが、「辛すぎて、ゴメン」と完敗した経験は1度あるだけだ。田舎の家で居候したときの食事で、口の中の感覚が麻痺してしまうくらい辛かったが、私を招いてくれた知人は、「オレ、辛い料理はあんまり得意じゃないから、ウチの料理はたいして辛くないんだ」と言っていたが、とんでもない。このとき、店の料理と田舎の家庭料理の違いを思い知った。店の料理は、基本的に中国系住民を相手にして始まったもので、過去には料理人も中国系だった。あらゆる経済活動は中国系が手掛けていた。

 バンコクのタイ料理は、中国化していて、辛さをそれほど求めない中国系住民が作り、中国系住民相手に商売している大都会の料理だ。だから、バンコクで生まれ育った中国系3世だと、「辛いのは、苦手」という人もいる。屋台や食堂の料理はあまり辛くないのだから、外国人観光客相手の、きれいに盛り付けた高額タイ料理はほとんど辛くないのは推して知るべし。バンコクの、そういうタイ料理を食べて、「ああ、これがタイ料理の辛さか」などと単純に思い込んでいると、田舎の家庭料理を食べて腰を抜かす。ノドを痛める。涙が出る。しかし、街の食堂でとんでもなく辛い料理に会うとすれば、南タイ料理店に行ったときくらいか。

 2019年にエストニアのタリンにいたときだ。夜、せき込んで目が覚め、しばらく眠れなかった。朝になってもせきが続くので、薬局に行ってスプレー式の薬を買った。せきとノドの痛みは数日でおさまったものの、帰国するとまたせきが止まらなくなった。うどんに七味トウガラシをいれたら、むせた。せきが出続けて苦しくなるから、トウガラシをふりかけることができない。ああ、タイ料理も四川料理も、もう食べられないのか。餃子にラー油、うどんの七味、ピザのタバスコも、のどを刺激する。せき込む。

ガンかもしれないという心配があり、かかりつけの病院で病状を訴えると、すぐさまCTなどの検査をしてくれた。

 検査の後、1時間ほど待って、医師の診断結果を聞いた。

 「悪い病気じゃないといいがと気になったのですが、加齢によるものですね。心配ありません」

 「で、今後の治療は?」

 「なにも」

 「薬は?」

 「なにも。加齢が原因というだけですので、なにも」

 悪い病気じゃないというのはうれしいが、「手の施しようがない」というのは、困ったものだ。この先の人生を、お子ちゃまカレーとともに生きていくことになるのか。塩分を厳しく制限されるよりはだいぶマシにしても、辛さのない食生活は味気ない。

 医者がノドの薬を処方してくれないから、市販のノドスプレーを買い、せきが出るとプッシューとノドに吹きかけていた。そのうちにせきは出なくなり、トウガラシ厳禁だったこともすっかり忘れ、いつものように特辛ラー油で餃子を食べて数日後、「あれっ、大丈夫だぞ!!」と気がついた。もう、昔どおり辛いものが食べられるが、「加齢」と言われる年齢なので、「まあ、そこそこの辛味で・・・」でと、自制している。