2097話 続・経年変化 その61

食べ物 6 貝類

 どうやら、保守本流ではない食べ物が好きらしい。もしすしを食べるなら、当然回るすし屋に行くことになるのだが、食べたいのはイカ、タコのほかはもっぱら貝類なのだが、その手の店では以前と比べて貝類のバラエティーはかなり減ったように感じる。その昔は、ホタテ、トリ貝、ホッキ貝、赤貝、ミル貝、ツブ貝など、いろいろあった。ところが今は違う。例えばくら寿司のメニューにある貝類は、赤貝、ホタテ貝柱、つぶ貝などだ。スシローでもはま寿司でも、店舗や時期によって違いはあるだろうが、品揃えが少ない。貝好きは、回らないすし屋に行くしかないようだ。

 イカ、タコ、貝類が好きな理由は、その歯ごたえにある。だから、ホタテの貝柱が好きになれないのだ。ただ柔らかいだけのことで、おもしろくない。これが干し貝柱になったら絶品に変身するのだが、それはもう高価で、私には手が出ない。崎陽軒のシウマイが好きだ。「昔ながらのシウマイ」(30個入1310円)は「うまいなあ」程度なのだが、干し貝柱入りの「特製シウマイ」(12個入 1480円)はその値段以上に感動的なのだが、しかし、やはり、店頭でこの価格差が頭から離れず、「ごくタマのことだから、贅沢するか」と決断をするのである。ちなみに、名物で本当にうまいと感じるのは私の場合、崎陽軒のシウマイと551蓬莱の豚まんだ。551の豚まんは価格と味で肩を並べる店はない。少なくとも、東京・横浜あたりでも、あんなに安くてうまい豚まんはない。大阪府文化財に指定するべきだが、ライバル他社がいるから、実現は難しいだろう。

 話をホタテに戻す。魚屋で生ホタテを買うことはないが、その昔、スーパーの魚屋にホタテのヒモだけを売っていたことがある。うれしくなってすぐ買い、唐揚げにして食べた。湯通ししてニンニク、ショウガ、ラー油、醤油で和えるのもいい。隔週くらいでホタテのヒモを買っていたのだが、数か月後に売り場から消え、以来、どこの魚屋を覗いても、ホタテのヒモは売っていない。おつまみ用に加工したものはあるが、生のヒモはない。

 殻付きであってもなくても、生のホタテを買うことはないのだが例外的にベビーホタテはときどき買う。その作り方を書いておこうか。

 ゆでたホタテなので、水気をしっかり絞り、塩コショーをした後、片栗粉を握るようにつけて、カリカリに揚げる。揚げている間に、中華鍋に少量の油をいれ、ショウガ片とナナメ切りの長ネギ1本(すき焼きのネギのように切る)を炒め、酒、醤油、カキ油、水を入れ、沸騰したら、揚げたホタテを鍋に入れて、さっと混ぜて、ゴマ油を振りかけて出来上がり。カリカリに揚げたホタテを皿に盛り、その上からカキ油味の汁をかけてもいい。ネギをキヌサヤとニンジンに代えて、塩味にするというのもきれいでいい。

 オイスターソース誕生の話をすでに書いたと思っていたが、検索しても出てこないから改めて書いておこう。食文化を研究しているマカオと香港の大学教授から聞いた話だ。

 かつて、香港の沿岸でもカキの養殖をやっていた。中国南部の沿岸地方では、カキの炒め物などはあるが、基本的に中国人は生のカキは食べないという。この「生のカキ」というのは、日本人やフランス人のように生のまま食べるという意味ではなく、生のカキを料理して食べることをしないという意味だ。中国人が食べてきたのは、アワビやシイタケ同様、干物のカキだったという意味だ。干物にしないと、大陸に送れないのだ。香港で養殖されたカキは、干物にして中国に輸出していたのだが、取れたカキをそのまま天日で干すと、水分が多いので腐ってしまう。そこで、一度茹でてから、干していた。そのゆで汁に目をつけた男が、煮汁に醤油など各種調味料を加えて作り上げたのがカキ油(蠔油、オイスターソース)で、創業者一族が設立したのが業界のトップメーカー李錦記(りきんき)である。

 戦後、香港の沿岸はひどい海水汚染により、カキの養殖は廃業した。そこで目をつけたのが広島のカキで、加工工程も広島で行なっている。工場見学に行った教授の話では、「カキ加工工場の隣に大きな工場が建っていて、その工場へパイプが伸びていて、製品が送られているんです。その工場が、オタフクソースなんです」。「お好みソース」の原材料名に「オイスターエキス」とある。オイスターエキスは中国に輸出されて、オイスターソースになる。