大河ドラマ「いだてん」は、保守本流の大河ドラマファンからは敬遠された。武将が出てきて殺し合いをして、勝った負けた殺した殺されたというドラマでないと、大河ドラマファンは満足できないのだろう。根っからの大河ドラマファンは、殺し合いが大好きなのだ。
私は保守本流の大河ドラマファンではないし、どういうものであれ、大河ドラマは見る気はないのだが、「いだてん」は現代史と落語がからむので、ついつい見てしまった。ドラマファンではなく、スポーツファンでもないから、オリンピックそのものにも興味はなかったのだが、「おお、あの話を出したか」と興味深く見たことが最近ふたつある。ひとつは、聖火ルート探索の旅の話だ。東京03の角田晃広が演じたタクシードライバー森西栄一のことは、前から少しは知っていた。
1964年の海外旅行自由化以前の日本人の海外旅行体験を調べるために、古本屋やアマゾンで片っ端から資料を買い集めていた中に、『聖火の道ユーラシア アテネ・東京横断記録』(麻生武治・森西栄一、二見書房、1962)があったからだ。参考までに、森西栄一の紹介文を引用する。
森西栄一(車両運転) 昭和二十八年帝産オート永田町営業所勤務、世界デザイン会議事務局員を経て、現在はオリンピック組織委員会嘱託。二十八歳。
ちなみに、アテネから日本まで(もちろん、海路は船)走った車両は、本文では「ジープ」と書いてあるが、日産が車両を提供したので、日産パトロールの特別仕様車に乗った。
1962年のジャカルタ・アジア大会のことは、海外旅行が自由化される直前の1960年代前半の社会事情がどのようなものだったのか知りたくて、図書館に通ってマイクロフィルムで当時の新聞を読んでいて知った。1962年に10歳だった私は、ジャカルタで何が起こっていたのか、40年後の新聞記事を読むまでまったく知らなかった。ジャカルタでの騒動は、東南アジア研究者としては実に興味深かった。
こういう話は、このアジア雑語林の407話(2012年5月)ですでに書いた。
https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/20120528/1338166654
オリンピックが私の好奇心の中心ではなかったから、女子バレーの裏話は、「NHKスペシャル 東京ブラックホール」(2019年10月13日放送)で初めて知った。以下に、ちょっと放送内容がある。1964年の東京オリンピックは、開催国日本でも直前までほとんど関心が湧き起こらなかったという話を、このテレビ番組で知った。
https://www.nhk.or.jp/special/blackhole/
「東洋の魔女」は知っていても、当時の小学生にはわからない裏話ばかりだった。女子バレーボールはそもそもオリンピック種目には入っていなかった。ところが、日本の女子バレーチームが、初めて参加した1960年の世界選手権で銀メダル、62年には金メダルを取ったことから、「それなら、東京オリンピックで金が取れるぞ!」という思惑で、オリンピック開催国である日本が、女子バレーを無理やり競技種目に追加させたのである。これが第1幕。
第2幕は10月9日。開会式前日。
女子バレーボールが正式に競技種目となったが、オリンピック開会式前日の10月9日に北朝鮮選手団が突然帰国してしまい(これは、ほかの競技でもやる北朝鮮の得意技だ)、6か国でメダルを争うという規定が欠けて参加国が5か国になり、競技実行不可能になった。北朝鮮突然帰国の事情は、以下の論文でわかる。
http://www.ssf.or.jp/Portals/0/resources/encourage/grant/pdf/2017/2017rs_31.pdf
あるいは、「1960年代初頭日本の対朝鮮半島外交に関する考察」(冨樫あゆみ)が、これ。
http://rcks.kyushu-u.ac.jp/kanri/wp-content/uploads/2019/04/f17284b8b930f61ffa8750d2ed5905c1.pdf
そして、第3幕。日本は大急ぎで韓国に助けを求め、韓国チームが参加することで、競技は成立し、10月11日から始まる女子バレーが開催された。気の毒にも、韓国チームは12日にソビエトと試合をしている(15-0、15-6、15-0は当然だ)。そして、10月23日、日本はソビエトに勝って、金メダルを獲得したというわけだ。
韓国が女子バレーに参加してくれなければ、「東洋の魔女」伝説もなかったのだ。