1385話 「応答せよ」と韓国現代史 その3

 激流の1980年代

 

 韓国の中高年は、1988年が特別な年だとわかっている。ソウルオリンピックが開催された年だ。88は韓国語で「パルパル」といい、私でも知っている。日本人にとっての1964年のような年だ。

 韓国の1980年代の主な出来事をいくつか書き出してみよう・

1979年10月 朴正煕暗殺される。

1979年12月 粛軍クーデター(軍内部の反乱事件)

1980年5月  光州事件(反政府デモに軍が発砲し、多数の死者が出た事件)

1980年9月  軍法会議金大中内乱罪で死刑判決

1981年9月  ソウルでオリンピック開催決定

1982年1月  中高生の制服と髪型自由に

1982年1月  夜間通行禁止令全面解除

1982年9月  大韓航空機爆破事件(北朝鮮工作員大韓航空機を爆破)

1982年10月 ラングーン事件北朝鮮工作員が、ラングーンで韓国大統領一行を爆弾テロ事件)

1987年1月  大学生が警察の拷問で死亡(映画「1987」)

1987年6月  デモ中の大学生に催涙弾が直撃、死亡。

1987年11月 大韓航空機爆破事件

1988年9月  ソウルでオリンピック開催

1991年9月  国連に加盟

 ドラマに登場する5人の若者のひとりが、ソウルオリンピックの開会式で国名プラカードを持って行進する役を与えられて練習するというところからこのドラマが始まる。

 私は韓国映画をわりと見ているが、ドラマはあまり見ていない。これは私だけの特徴ではないようで、日本にも数多くいる韓国ドラマファンは韓国映画をあまり見ていないらしい。韓国映画ファンは韓国ドラマをあまり見ていないらしい。韓国のドラマと言えば、財閥御曹司や国王との恋物語。腹違いの兄弟の確執。交通事故や難病。タイムスリップという「毎度おなじみ」の構成で、映画ファンはうんざりしているが、ドラマファンは「それがいいのよね」ということになるようだ。韓国ドラマファンは、日本のドラマからほぼ消えた「ベタなストーリー」が大好きらしい。

 韓国ドラマをあまり見ない私だが、この「応答せよ 1988」という大傑作ドラマに出会った喜びを書こうと思ったものの、特に理由もなく時間が流れ、今日に至った。「なんで、今頃?」といぶかしく思うかもしれないが、旅行記を書いていて機会を逸しただけだ。このドラマのことを書くなら、ドラマを見直して、ある程度は調べてから書こうと思っていたから、数年の月日が流れてしまった。ネット上にはこのドラマに関する賛辞が満ちているが、私はドラマそのもの以上に、1980~1990年代の生活資料としてこのドラマを注視していた。あの時代のソウル市民の生活がよくわかる事典的なドラマなのだ。「自伝的ドラマ」というのはよくあるが、現代史の事典的ドラマというのは雑多なことが知りたい私にはこの上なくありがたい。

 私は、社会と歴史を考えながらドラマを見る。だから、芸能情報など、どうでもいいのだ。これから、韓国ドラマ「応答せよ 1988」から見えてきた雑多な話を始める。このドラマを日本の配給会社は、青春ラブコメとして売ろうと、「恋のスケッチ~応答せよ1988」というつまらないタイトルにして、予告編もラブコメにするという大失敗を犯した。これは家族の物語であり、よくできたコメディーでもある。出来の悪い予告編だが、一応紹介しておこう。

https://www.youtube.com/watch?v=hm99bAL7HSs