1444話 その辺に積んである本を手に取って その1

 韓国ドラマ

 

 すでに読んだ本とこれから読む本が部屋のあちこちに積んである。読んだ本が探せないことが多くなったので、何とか整理しなければと思っているものの、まだ何ともしていない。この機会に、その辺に積んである本のなかから見つくろって、あれこれ書いてみようか。

 韓国映画は、比較的よく見ている。おもしろい作品が多いからだ。ところが、韓国のドラマはあまり見ない。単純に、おもしろそうな作品が少ないからだ。逆に言えば、見たくないような作品が多いからだ。「ご存知! これぞ、韓国ドラマ!」という内容、別な表現をすれば、「ベタのかたまり」のドラマが嫌いなのだ。例えば、財閥の御曹司や王との恋という身分差ラブストーリー。前妻と後妻の子の異母兄弟対立、あるいは本妻の子と愛人の子の異母兄弟対立といった、いつものどろどろ劇。訳ありすぎの出生の秘密。あるいは、金持ちのバカ息子・バカ娘の徹底したイジメ・嫌がらせを受ける貧しい主人公。交通事故、記憶喪失、安易なタイムスリップと、あまりに好都合な「偶然にも」のシーンと不都合なすれ違い。医者ドラマではないのに、やたらに病院のシーンが多いというのも特徴らしい。

 大映ドラマと少女漫画を合体し、さらに泥臭いハーレクインロマンスにしたドラマである。ひとことで言えば、「これでもかという、ベタの大安売りドラマ」と言ってもいい。韓国ドラマファンのおばちゃんたちは、そういうベタな展開が大好きらしいが、だからといって日本でそういうドラマを作っても、たぶん、見ない。韓国のドラマだから、ひと昔前の、大映ドラマのようなベタな展開に心を躍らせるのだ。外国のドラマだけど、アメリカではなく韓国だからいいのだ。ベタなドラマが悪いと言っているのではなく、その手のドラマは私の好みに合わないというだけのことだ。

 私が韓国ドラマを見る目的は、韓国の日常生活の情報を得るためで、とりわけ食文化が関係するなら、どういう構成のドラマであれ見るようにしている。映画やドラマといった映像資料を多数見てわかったことを、このアジア雑語林で何度も書いている。「韓国人は、日本人のように左手で茶碗を持って食べるようなことはしない。食器はテーブルに置いたままだ」と、さまざまな出版物に書いてあり、テレビなどでも紹介されているが、そんなのウソだとこのアジア雑語林で何度も書いている。韓国のドラマや映画を見れば、茶碗や丼を左手に持って食事をしているシーンなどいくらでも見つかる。

 さて、枕が長くなったが、『定年後の韓国ドラマ』(藤脇邦夫幻冬舎新書、2016)の話だ。この本は、韓国ドラマの魅力を、シナリオや俳優の演技力などから語っているのだが、韓国ドラマに対する態度が私とはまったく違うから、同意することも共感することもほとんどない。私は韓国ドラマを、韓国の文化のひとつとして眺めているので、俳優の演技力やシナリオなどにさほど興味はない。それよりも、テレビドラマと韓国人というテーマの方に興味があるのだが、残念ながらこの本にそういう記述はない。韓国のドラマを語るなら、「彼らが生きる世界」と「オンエアー」(どちらも2008年)という2本のドラマは最重要資料なのだが、この新書にはこの2作のタイトルが出ているだけだ。著者は見ていないのか、あるいは単なる恋愛ドラマとしてしか見ていなかったのだろうか。この2本のドラマは、ドラマ制作者側を描いた作品で、テレビドラマの現状や問題点がよくわかる。

 「彼らが生きる世界」では、放送局のドラマ局のキム・ガブスやキム・チャンワンたちがこういうやりとりをしている。確認するのは面倒なので、記憶で概要を書く。

 「韓国ドラマは、くだらん。財閥御曹司との恋とか交通事故とか、同じストーリーばかりだ」

 そう思っているから、今までと違うドラマを作りたいと努力しているのだが・・・。

 「でもなあ、ああいうドラマが視聴率を集めるんだよなあ」

 裏番組の、毎度おなじみのベタなドラマがより多くの視聴者を集めているという現実にぶち当たる。おそらく、実際にドラマを作っている者の感情を、ドラマ出演者に言わせているのだろう。このやりとりのほか、スポンサーの問題なども出てくるという点でも、韓国ドラマ研究者なら見ておくべき作品なのだが、いわゆるドラマファンとドラマ紹介者は、ヒョンビンが主演の恋愛ドラマという側面にしか注目しない。

 「ご都合主義のベタドラマ」は嫌だと思う人たちのなかから、のちに「ミセン」(2014)や「応答せよ 三部作」(2012~2016放送)などを作ることになる。この新書でも「応答せよ1988」に少し触れているが、ソウルオリンピックが開催された1988年に海外旅行も自由化されたと書いているが、海外旅行自由化は1989年1月である。著者にとっては、そういう些末なことはどうでもいいのだろうが、1393話で書いたように、海外旅行史研究者としては些細なことではないのだ。