767話 インドシナ・思いつき散歩  第16回


 アオザイでシクロに その1

2016年になったが、旅の話は変わらずに続きます。下書きはすでに9万字近くになったが、まだベトナム編です。このままいくと、3月に入ってもまだ終わらないかもしれない。本の話もしたいのだが、まあ、しばらくは旅の話を・・・
 アオザイを着た女性がノン(笠)をかぶり、シクロ(三輪自転車)に乗っている姿というのは、「これぞ、ベトナム」という風景で、日本でいえば「フジヤマ、ゲイシャ」的風景である。20年前のサイゴンでは、こういう絵葉書的風景、カレンダー写真的風景が、現実の風景として日常的に見かけた。シクロは、移動手段として、あるいは運搬手段として、普通に使われていた時代があった。
 三輪自転車のタクシーは、アジアの多くの国にあった。その起源を調べたことがあるのだが、今もまだ謎のままで、一向に解けない。ヨーロッパでは19世紀にすでにあったことが当時の出版物のイラストでわかっている。自転車に乗れない人向けの遊びの乗り物だ。日本では1910年代に姿を見せたという記録はあるが、輪タク(タクシー)として使われるようになるのは、第二次大戦後である。美空ひばりの主演映画「東京キッド」(1950年)は、営業している輪タクが動画で見ることができる貴重な資料でもある。
 ベトナムのシクロを発明したのはフランス人だという資料がフランスにある。インドネシアのベチャはオランダ人が発明したという資料がオランダにあるらしい。私は英語に翻訳した資料で読んだ。タイのサムローはタイ人が発明したのだと、発明者の実名を挙げた資料がタイにある。この件のもっとも興味深く、かつ謎なのは、どこの国の三輪自転車も姿が違うのに、「発明した」という時期が皆同じように、1930年代半ばなのだ。「同時多発」とは考えにくいのだが、その数年間の事情がまったくわからないのだ。
 首都の乗り物として、最初に営業禁止になったのはバンコクだった。1959年のことだ。台北で禁止されたのは1967年である。クアラルンプールやシンガポールでは、1970年代には禁止されたのだと思うが、1990年代に入ってもクアラルンプールやジャカルタで見ている。ベトナムでは、サイゴンでもハノイでも長らく営業してきた。1995年のサイゴンではシクロを重宝したので、ハノイにもまだあるのだろうと思っていたのだが、大きな変化があった。
 ハノイを散歩していて、シクロを見かけないことに気がついた。ごくたまに、観光客を乗せたシクロが通り過ぎるだけだ。交通の邪魔になるということで、ハノイ市はシクロ営業を段階的に廃止する方向でその数を減らしてきた。2013年ごろには実用としてまだわずかに走っていたようだが、少なくとも今、中心部では見かけるのは、観光客用に姿を変えたシクロだけだ。この事情はサイゴンも同様で、中心部からは消え、今はわずかに郊外で残っているだけになったそうだ。ベトナムで、観光用ではないシクロに乗ろうと思ったら、地方の小都市に行くしかないようだ。
 バンコクジャカルタでは、三輪自転車が禁止されて、三輪自動車がタクシーとして登場し、そして、それまでもあった四輪車のタクシーが主流へと変化していった。ベトナムの場合、シクロと中古自動車(おもに日本車)を利用したタクシーの2本立ての時代から、シクロが消え、韓国車のタクシーへと変わった。
 カンボジアではどうか。プノンペンのシクロは、知り合いの岡田知子さん(東京外国語大学准教授、カンボジア語)によれば、ハノイと同じように「観光用」としてやっと生き延びているらしい。実用として利用される公共交通機関としての三輪自転車は、ビルマヤンゴンのサイカーと、ほかの国からかなり遅れて登場したマニラのペディキャブを除けば、これで東南アジア各国の首都からはほとんど姿を消したことになる。地方都市ではまだ生き残るだろうが、それもしだいに4輪タクシーかバイクタクシーか、エンジン付きの三輪車になっていくだろう。『東南アジアの三輪車』(旅行人)を書いた者としては、予感はしていたものの、「はっきりと、時代が変わった」という印象が強い。
 三輪自転車が廃止されたのは、交通の邪魔という理由が大きいのだが、じつはもうひとつある。三輪自転車の運転手が、売春や麻薬販売や賭場の案内人にもなるからだ。興味深いことに、アジアから三輪自転車がなくなっていくのとは逆に、ヨーロッパでは「エコ」を旗印に、三輪自転車がしだいに増えている。ただし、これも実用ではなく、観光用である。「今の日本では、京都とか浅草などに、人力車が走る時代でもあるんですよね」と岡田さん。その通り。観光客が増えると、伝統がよみがえるという観光の法則だが、その話は、いつかまた別の機会に。