802話 インドシナ・思いつき散歩  第51回


 ベトナムタマゴ


 チェンライの宿のすぐそばの路上に屋台の朝飯屋があって、私が「ベトナムタマゴ」と呼んでいる料理があることを発見した。
 20年前のサイゴンの朝飯は、いつもバゲットと目玉焼きとコーヒーだった。ベトナムの目玉焼きは小鍋仕立てで出てくる。この朝飯をまた食べたくて今回ハノイに行ったのだが再会はできず、ベトナムを離れてすぐのチェンライで再会したのは皮肉なものだ。
 ただ、タイのこのタマゴ料理は「違う」。最近、タイでベトナム式目玉焼きが流行っていることをちょっと前に知った。タイで発行している日本語情報誌「ダコ」に、バンコクのレストランが「ベトナム式目玉焼き」として紹介している料理の写真が載っていたのだが、ちょっと変だった。小鍋仕立てなのは同じで、たぶんこの小鍋そのものはベトナムか中国からの輸入品だろうが、私がよく知っている料理とは違う。小鍋にタマゴとソーセージを入れて、少量の水を入れ、ふたをして加熱したものだ。黄身を覆う膜は白濁し、黄身が硬くなるまで火が通っている。だから、美しくないのだ。
 「こんなもの、ベトナムの目玉焼きじゃないよ」と日本からメールを送ると、「本物って、どういう姿なんですか?」という質問が編集部から来た。
ベトナム式目玉焼きは半熟だ。そこに醤油に似たマギーソースを少量振りかけ、バゲットをちぎって黄身に差し、食べる。これがうまい。20年前に行ったサイゴンや、ベトナムラオスの影響を受けたタイの街、たとえばノーンカーイなどコーン川(通称メコン)沿いの街でも、このベトナム朝飯を食べさせる店があり、いずれも小鍋仕立ての半熟玉子だった。
 それが今、ベトナムから遠く離れたチェンライの路上の朝飯屋のメニューに入っている。タイにももちろん目玉焼きはあり、カイ・ダーオ(星タマゴの意味)という。フライパンに底から1センチほど油を入れて、泳がすように加熱するが、半熟が基本だ。ベトナム式のものは、カイ・カタ(鍋タマゴ)といい、なぜか黄身のなかまで加熱する。
 チェンライのこの朝飯屋にはバゲットはないから、薄切り食パンとコーヒーで朝飯にした。無料の中国茶がつくのは北タイの習慣だ。いつも思うのだが、タイの食パンは私にはまずいのだが、タイ人の好みだからいたしかたない。
この朝飯屋の店主は50代後半で長髪。ギターを抱えて歌っている写真が何枚も貼ったパネルが置いてある。「チウィット」だとわかる風体だ。日本の、高田渡岡林信康の時代のフォークソングを、タイでは「プレーン・プア・チウィット」(生きるための歌)という。日本では歌謡曲に取り込まれ、「ニューミュージック」などと呼ばれてもてはやされて衰退したが、タイではまだ1960年代のフォークソングが生きていて、「反体制」や「環境保全」が歌になる。
 この朝飯屋は、路上と移動販売車の2か所で手分けして料理している。車にはこんな文が書いてある。オリジナルか、出典があるのか不明。
 Next Life Party “Yes, We can Talk&Think . But , We Do Nothing.”
 しっかり者の妻(たぶん)が切り盛りし、旦那は忙しいと注文をとったりもするが、ヒマだと歌っている。私の姿を見ると、日本語の歌を歌い始める歓迎ぶりなのだが、その歌は、タイでも有名な歌だが、私が大嫌いな曲ワースト5の1曲だよ。「昴」なんかを聞かされての朝飯は不愉快だが、この有難迷惑な気遣いに、孤独な旅行者はニタニタとした笑顔で、しかたなく感謝の意を表すしかない。