803話 インドシナ・思いつき散歩  第52回

 南下を始める その1


 チェンライに来るのは十数年ぶりだろうか。街は小奇麗にはなっているが、高層マンションが林立しているとか、巨大ショッピングセンターができているという大変化はない。この街で生まれ育った若者なら、すぐにでも逃げ出したくなるような退屈な街だろう。北部の、このあたりではいちばん大きな街だが、野心を持った若者には狭すぎる。都会に疲れた大人にはこの静けさがたまらないのだろうし、山に入って少数民族の村を歩きまわるのが趣味の旅行者なら、基地として重要な土地だろう。しかし、そういう趣味もなく、都会にも疲れていない私は、まる一日歩いて、「もういいか」と思った。
 これから2週間ほどかけてチェンライからバンコクに戻ることになるのだが、さて、どういうルートをとろうか。もっとも一般的なルートは、まずチェンマイに出てタイ北部を南下ルートするゴールデンルートで、日本でいえば東海道東北道といったルートだ。チェンマイには数年前に行っていることもあって、このルートは心が動かされない。チェンマイに寄らず、パヤオ、ナーン、プレーといった街経由にしたところで、行ったことがある街だから新鮮味がない。ルーイを経由して東北タイに行くルートも、以前使ったことがある。おもしろいルートはないだろうかと頭にタイの地図を描いた。
 「そうだ、ラオスに行こう」。
 情報はまったくない。その昔、チェンライの北東の街チェンコーンに行ったことがあり、当時はラオスへの渡し船が出ていた。タイの街はかなり行っているから、ラオス経由でバンコクに戻るのはおもしろそうだ。ラオスに行けば、またバゲットに会えるはずだ。20年ほど前に、ビエンチャンでパリパリのバゲットを何度も食べている。
 チェンライを散歩していてバスターミナルは見つけていたので、チェンコーンへのバスの便を確認した。今は川に橋がかかっているそうだが、詳しい旅行事情はわからない(あとで調べたら、両国を結ぶ橋の完成は、2013年12月)。ガイドブックはなく、インターネットで最新情報を入手しながら進むという旅もしていないので、行き当たりばったりの、思いつきの、気ままな旅だ。旅行情報も、食べ物と同じようにその日暮らしで入手する。ラオスのビザのことも知らないが、成るようになれ。よし、Vamos!(Let’s go!)
 早朝、チェンライ発。チェンコーンまでの距離がわからないので、どのくらい時間がかかるのか分からない。小雨の中をバスが行く。熱帯の雨の日のバス旅行は、わくわくする。メランコリーでもあって、好きな時間だ。2時間ほど走り、街道のバス停で運転手が「チェンコーン!と叫んだ。「ラオスに行くには、ここで降りるのか?」と聞いたら、「そうだ」という。周囲に橋も出入国事務所も見えない。ただの農村風景が広がっているだけだ。トゥクトゥク三輪自動車)の運転手が、「ひとり50バーツ!」と叫ぶ。「ラオスに行くんだろ、これに乗れ」。
 トゥクトゥクが着いたのは、タイの出入国事務所。当然ながら、何も問題なく出国。タイ滞在2日間、40時間ほどだった。ラオス出入国事務所まで、またバスだ。隣の席に座ったのは、チェンライから同じバスに乗ってきたでかい女だ。20代なかばくらいか。多くの西洋人旅行者と同じように、バカでかいリュックを持っている。それよりもちょっと小さなリュックも持っていて、体の前後にリュックを担ぐ体勢になる。バスのなかで、小さめのリュックを開けてカメラを取り出した。旅行者の持ち物に学問的関心があるから、ちらりとリュックの中を覗いた。予想した通りだ。この10年ほどだが、リュックをふたつ持った旅行者が目につくようになった。体の前面につけるリュックのなかは、デジタル機器だ。この旅行者の場合、ノートパソコン、でかい一眼レフカメラにでかいレンズが何本か。そして、おそらく、コードや充電用具やもろもろの、私には縁のない機械や道具が詰まっているようだ。えらく高そうなカメラとレンズを持っているから、プロかセミプロか。写真家か旅行ライターかもしれない。私は、えせライターだから、ノートパソコンもカメラもスマホも持っていない。開高健風に言えば、「鉛筆なめなめ」の旅行者だ。