815話インドシナ・思いつき散歩  第64回


 タイ入国 前編


 ラオスで最初にして最後に腹を立てた出国手続きを仕方なく終え、タイの入国審査事務所に進んだ。いくつもあるブースのうち、当然ながらタイ人専用の窓口は無審査に近いので、次々とやってくるタイ人は、小川の流れのように次々にタイに入国(帰国)していく。団体観光客が多い。費用が安く、ラオス人はタイ語を理解するので言葉の心配もない。国内旅行と同じ感覚で外国旅行ができるのがラオスなので、団体旅行向きの国だ。
 ラオスでタイ人団体客と出会うと、あまりいい気分ではない。ラオスではタイ語がかなり通じるから、タイ人は当たり前のようにタイ語をしゃべる。これが、「タイにいるときと同じようにしゃべる」というならいいのだが、現実はタイで買い物をする時よりもはるかに居丈高に見える。えらそーなのである。基本的に、大国の民タイ人は、小国の民ラオス人をバカにしている。見下している。タイ人客のそういう態度を見ていると、1960年代後半あたりから70年代の、韓国や台湾を旅する日本人団体客の態度や行動が想像できる。だから、ラオスでタイ人の団体客を見かけると暗い気分になるのだ。
 タイ人は、淀むことなくすばやく流れてタイに入って行った。しばらくしてタイ人の入国者が途切れたので、「はい、ここから後ろは、こっちに移動」という職員の指示で、非タイ人グループがタイ人専用ブースに移った。とたんに列が乱れた。新しい列で、私の前に並んだ男がちょっと気になった。アジア人だが、肌が白い。日本人か、韓国人か。年齢は30代後半、よれよれのポロシャツに、バミューダパンツというのか7分丈パンツというのか、丈の短いズボン。髪はぼさぼさで、全体的に貧相だ。旅行者には見えない。ビジネスの出張という感じでもない。正体不明なのだ。ひと言でいえば、「風采の上がらない怪しい外国人」だ。
 その男の番になった。バッグからパスポートを取り出し、カウンターにのせる。日本のパスポートだとわかる。イミグレーション係官が、そのパスポートのページをめくる。日本人の顔をじろじろ見る。顔をしかめる。ページをめくる。大声が聞こえた。
 “How many times you come to Thailand!!”
 私にもはっきりと聞こえる大声で、どなった。日本人は、ただオロオロするだけで何も言わない。英語が聞き取れないのでも、英語がしゃべれないわけでもないだろう。返答のしようがないのだ。そういう事情が、瞬時に読み取れた。ビザなしの滞在をくりかえして、長期間タイに暮らしてきた所業が、ついに怒りを買ったのだ。
 “What do you do in Thailand?”
 やはり日本人は黙っている。「働いています」などと言えるわけはない。職員は、日本のパスポートを投げ返して、ラオス側を指さして言った。
 “Go back to Laos .You must get visa!”
 日本人は、かすかにうなずいて、ラオス方向に歩きだした。こうなることは予測していたのだろう。その証拠に、キャスター付きの荷物を持っている。ラオスからタイにバスで入国する乗客は、荷物はバスに積んだままだ。ラオス側とタイ側でいちいち荷物の積み下ろしをやっていたのでは面倒で、時間もかかるからだ。バスの乗客は、入国審査を終えると、タイ側で待っているバスに乗って旅を続けることになる。もしも、旅客がタイに入れないと、荷物だけタイ側に行っているから、荷物を取り戻すのが面倒になる。この日本人はそういう事情も心得ていて、荷物は自分で運んでいたのだろう。
 善良なる旅行者である私は、何の問題もなく瞬時に入国スタンプが押された。これでタイに入った。これから長いバス旅行が始まるから、今のうちにトイレに行っておいた方がいいだろうと思った。近くにトイレが見当たらないので、イミグレーションブース付近で入国者の整理をしている役人にトイレの場所を聞くと、「向こうだ」とラオス側を指さした。タイ入国希望者の列の脇だ。タイに入ったばかりで、トイレに行くためにまたラオスに戻っていいのだろうか。
 「OK,OK」
 役人がそういうので、イミグレーションブースの脇を通り、ラオスに戻り、小用を済ませて、そのまま堂々をまたタイに入国したのだが、とがめられることはなかった。その昔、昭和の戦前と戦後、「アメション」という言葉が流行った。ちょっとアメリカに行った者に対する羨望とやっかみを込めて、「アメリカにションベンしに行っただけじゃねえか!」という皮肉で「アメション」とからかった。だから、私は現代の「ラオション」である。