インドの食文化の話は前回で一応終わったが、付随する話を書いておきたくなった。
『食べ歩くインド』のあと読んだのが、共同通信社記者が書いた『13億人のトイレ』 (佐藤大介、角川新書、2020)だった。インドで食べる話を書きながら、出す話を読んでいたというわけだ。第三世界のトイレ問題は、貧困と衛生が大テーマなのだが、この本の主たるテーマは、「インドのトイレとカースト」である。
第三世界に住む多くの人が戸外で用を足しているのは貧困が原因だと説明されていて、私もなんとなく「そういうことだろう」と信じていたのだが、よく考えてみると、「違うなあ」と思う。根拠はふたつある。ひとつはこの新書の著者佐藤氏の調査と考察によるものであり、もうひとつの根拠は私の意見だ。
インドでは、トイレの数よりも携帯電話の数の方が多いという。政府はトイレを増やそうとしているが、それほど普及しない。政治の腐敗という原因もある。トイレ建設補助金汚職があるが、それ以前に問題なのは、ヒンドゥー教徒たちの「淨・不浄」の考え方だ。体内から出たものはすべて不浄として体から遠ざけるのが正しいと考えている。だから、自宅や自宅のすぐそばにトイレは絶対に作らないという信仰だ。大都市の水洗便所ならば、不浄な物体はすぐに遠くに消えるからいいのだが、貯蔵方式は許さない。だから、住民がトイレに反対しているのだ。これは、カーストにも関連している。糞尿処理に関わるカーストは決まっているから、それ以外のカーストの者が、それが例え自分の家族の糞尿であれ、自分で処理することに心理的抵抗がある。そういう問題があるのだから、戸外で用を足した方がいいと考える人が、特に男に多いというわけだ。
「貧困ゆえに、トイレはない」という説を「違うなあ」と気がついたのは、日本の歴史を考えていたからだ。たとえば江戸時代の農村、貧農の家にトイレはなかったか、江戸の長屋にトイレはなかったか。あったのだ。同じ時代のヨーロッパに、トイレはない。オマルを使っていたのだ。つまり、経済力とトイレを直接結びつけて、「貧困ゆえに、トイレがない」と結論づけてはいけないというわけだ。
古くから日本にトイレがあったのは、人糞を肥料として使っていたからだ。中国や朝鮮では日本ほどトイレは普及していないが、それはオマルの文化があり、糞尿は一か所にまとめられて、のちに肥料になる。つまり、農業に人糞を使う文化圏は、糞尿を汚いものだとは思っても、重要な物質だと考えていた。川に流すなど、もってのほかなのだ。日本では、鎌倉時代から農業生産力が急に向上した理由は、人糞を肥料に使い始めたからだ。
西洋では三圃式(さんぽしき)農業があった。放牧地と農地を3地区に分けて利用することで、家畜の糞尿が畑の肥料になるという方式だ。だから、西洋では「家畜の糞尿は肥料だが、人糞は処理すべきゴミだったのである」と認識していた。人糞肥料を使ってきたのは東アジアだけだと思っていたのだが、いえいえ、ヨーロッパでも中世から使っていましたよという論文を読んでびっくりした。night soil、直訳すれば「夜の土」は「人糞、下肥」の婉曲語だと知り、「night soil」や「ナイトソイル」で検索すると、情報がいくら出てくる。「ヨーロッパのトイレ」と言えば、「ベルサイ宮殿にはトイレがなかった」とか「オマルの汚物を路上にぶちまけた」という話だけがおもしろおかしく語られるが、そういう資料に下肥は出てこない。研究の浅さを痛感する。
インドでは、人間の糞尿は不浄とされ、カースト最下層のダリットと呼ばれる人たちが糞尿処理に関わるとされている。ところが、牛の糞は、水を加えて床や壁に塗り込んだり(ほこり除けや虫除けなどの効果があると信じられている)、乾燥させて燃料にする。牛は神聖だから、その糞尿も人糞とは違い「神聖」ということなのだ。不浄である人糞は、農地にまくなどという行為は当然しない。農業に肥料を使わないようなのだ。信仰は、科学では割り切れないのだ。
『食べ歩くインド』で、菜食の話が出てきたが、肥料なしで、何をどうやって栽培してきたのかという農業史の話をしないと、インド食文化史の話は完結しないのだ。だから、食文化の話の続きに、トイレの話を持ってきたのだ。食べる話と出す話は深い関係にあるのだ。