外食産業史の3回目だ。
『食から描くインド』(井坂理穂・山根聡、春風社、2019)は、さまざまなトピックを集めた興味深い本だが、この読書ノートの資料になるかどうかという点では、傍線を引き付箋をつけるページはなかった。イギリスにおけるインド料理の流れは追っているが、インドにおける外食産業史の資料はない。屋台、飯屋、高級ホテルのレストランなどの歴史を語る記述はない。外食そのものに関する記述は、英語の本の紹介があるだけだ。この読書ノートは、実は20回分以上の原稿をすでに書いてあるのだが、『食から描くインド』を参考文献にした回は一度もない。私のこのコラムと、インドの食の専門家たちが書いた400ページの本は内容的にまったく重複しない。だからと言って、『食から描くインド』を批判しているわけではないし、私が針の穴をほじくっているわけでもない。外食産業史にしても、けっしてマイナーなテーマではない。要するに、好奇心の方向が違うのだ。
インドの食文化の壁は、タイよりもはるかに高い。タイ人の食文化タブーは、全人口の5パーセントほどのイスラム教徒やインド系住民を除けば、ないに等しい。僧侶でも、何を食べてもいい。托鉢で得た食べ物なら、ハンバーガーでもステーキでも問題はない。
一方、インドはタブーだらけだ。まず、宗教の壁がある。ヒンドゥー教ならカーストという壁がある。基本的には、カーストが違う者とは食事で同席しないとか、自分より低いカーストの者が料理した物は口にしてはいけないというルールもある。都市では薄れた規範だが、規範がまだあることには変わりない。食べ物の浄・不浄の問題もある。食べ慣れた料理しか食べないという保守性もある。屋台などの人目につく場所で女が働けるかというジェンダーの問題もある。インドの食べ物は、実に様々な規範に縛られているのである。
そういうインドで、外食産業が、いつ、どのように生まれて来たのか。
私が持っている数少ない資料のなかで、その疑問に多少なりとも答えてくれるのは、『「たべものや」と「くらし」』(アジア経済研究所、1992)だ。この本の「南アジア」の章には、ネパール、パキスタン、インド、バングラデシュ、スリランカの食べ物屋事情に関するコラムが載っている。共通するのは、基本的に食事は自宅でとるもので、それが不可能な場合は友人知人親戚の家で食べさせてもらうか、弁当にする。よく外食するのは外国人と、トラック運転手たちだということがわかる。そういえば、今思い出したのだが、私がインドを旅した1970年代、使用人を連れて鉄道や船で移動している人を見かけたことがある。使用人は、船の甲板や駅のホームで料理をしていた。
この本に収載の「インド 肉食文化社会のなかの外食産業」(押川文子)で、外食産業史が少しわかる。5ページの短いコラムだが、こういう文章がある。
「資料がないために確実なことは言えないが、インドの外食産業の誕生は一九世紀以後のこととみてもよいだろう。それ以前にも例えば巡礼宿や商人宿で食事が供されることもあったが、基本的には自分の家で食べられない場合は、しかるべき親戚や知り合いの家で食べるのが原則だった」
大学の寮ではどうだったか。20世紀の半ばまで大学生はほぼ上位カースト集団で占められていた。北インドの場合は、学生たちがグループを作り、料理人を雇うことで、食事の問題を解決したという。ということは、屋台はともかく、イギリスの植民地となり、人の移動が激しくなって、食堂が生まれたようだ。しかし、食の規範など気にする余裕のない貧困層を相手にした屋台や安飯屋も生まれていたようだ。
この本には、スリランカの話(中村尚司)も載っている。
「たいていの村にはカデーもしくはカダイと呼ばれる、食料品店を兼ねた雑貨屋がある」という。村人はここに来て、菓子をつまみながら茶を飲んだり、密造酒を飲んだ。このような店は、第1次大戦後のことらしい。地方都市には屋台のような安飯屋はあったようだが、中央から出張してきた役人や商人が利用できるレストランはないので、出張者向けの宿泊所でありレストランでもあるレストハウスが建設されている」
「コロンボのような大都会でも、外国人向けのホテルを別にすれば、普通のスリランカ人が食事をするレストランが開店するようになったのは、ごく近年のことである」
そして、私がタイの話で書いたように、観光客と外食産業は深い関係にある。
「一九七〇年代後半から、観光産業の振興政策が推進され」(中略)「海外からの観光客のためにシンハラ・カレー料理店も増え、そこでは特別に唐辛子や胡椒を少なくしている」
手元の資料では、インド亜大陸の外食史はこの程度しかわからない。インドの外食事情をパソコンで動画検索をすると、南部のクレープ状の食べ物ドーサに限らず、インドの屋台は鉄板料理が多いという印象がある。家庭で使う鉄板はチャパティー(『食べ歩くインド』ではチャーパーティー)を焼く丸い鉄板くらいだから、大きな鉄板は営業用だ。とすれば、厚い鉄板が安く買えるようになったのはいつからなのか。インド人が鉄板を料理に利用したのはいつからなのか。どういう料理から始まったのか。そういう疑問がわいてくる。インドの食文化を考えるなら、結婚式などの出張料理や宗教施設での共食といったことも重要な研究テーマだ。
多くの読者にとってはどうでもいい事だろうが、外食産業史をおおざっぱにでも押さえておかないと、食文化の流れがわからない。「料理と鉄板」というテーマは、アメリカのハンバーガーショップも含めて、食文化の大テーマだ。
以上で、外食産業史の話を終える。