島 その3
その後も、インドネシアにはたびたび行ったが、バリに行くことはなかった。私は街の文化の方が好きだからだ。バリを再訪したのは、最初に行ってから13年後だった。『東南アジアの日常茶飯』の取材のためだ。1987年のバリは、デンパサールはちょっと小ぎれいになり、クタはどこの海岸にもありそうなビーチリゾートになっていた。派手な服やアクセサリーを売る小さな店が並び、スタンドバーやレストラン、ディスコや旅行代理店が並び、タイの海岸と変わるところはなかった。もはや関わりたくない場所になったから、10分ほど歩いただけで、すぐさまバスに乗りウブドゥに行った。74年のウブドゥはクタと同じように電気水道なしの村だった。87年のウブドゥはゲストハウスの町にはなっていたが、クタのようなけばけばしさはなかった。
バリが大きく変わった分岐点は、1970年代後半からだと思う。私の想像に過ぎないのだが、変身させた元凶はオーストラリア人サーファーだろうと思う。1970年代前半までの、静かなヒッピーの島は若年化し、飲んで騒いで遊ぶサーファーの島になった。その時代にロンリー・プラネットのガイドブックが出版されて、オーストラリア&ニュージーランドとヨーロッパを行き来する旅行者の中継地点としてバリが注目された。ちなみに、『地球の歩き方』がインドネシア編を初めて出版したのは『’87~’88』だ。そのころから少しづつ、バリ島が日本人の観光地としても公認されたということだ。
静かな島が観光開発されて魅力を失うクタのような例もあるが、うまい具合に開発され、依然として魅力的な島もある。ケニアのラム島だ。アフリカのなかのアラブの街がある島だ。この島の魅力を教えてくれたのが、旅行雑誌「オデッセイ」の岩瀬編集長だった。この島はそれほど小さくはないが、人が生活できる場所は狭く、道路は自動車時代に適合していないので、自動車はなく、いわゆる「絵になる風景」にあふれていた。この島で、ひと月ほどを過ごした。1982年のことだ。その後、また行きたいとは思いつつ、ケニアの治安が問題でなかなか行けない。今は空港があるから、ナイロビで乗り換えれば、ラムに行くことはできるが、ソマリアから武装した観光客誘拐グループがやってくるから、やはり危ない場所らしい。
インターネットの時代になり、現在のラムの姿を見ることができる。当然ながら、昔と違ってホテルが増え、高級化が進んではいるようだが、それでも魅力的な町だ。ラムはプーケットやサムイ島のようにはならなかったのは、治安の悪さで観光客が増えないせいか、それとも、イスラム教が島の歓楽化の規制になっているせいなのか。