1840話 時代の記憶 その15 マンガ雑誌 下

 

 日本のマンガ史に輝く「トキワ荘時代」に深く関わっている学童社の「漫画少年」は、1947年創刊で55年休刊だから、団塊の世代でも同時代の読者はそれほど多くないだろう。

 私の世代は、「漫画少年」が休刊したあとの時代に、月刊マンガ雑誌と深くかかわるようになる。

「少年」(光文社) 1946~68

「少年画報」(少年画報社) 1948年「冒険活劇文庫」として創刊。50年に「少年画報」と改題。71年休刊。

「冒険王」(秋田書店) 1949~83

「少年クラブ」(講談社)194614年創刊の「少年俱楽部」を、46年に「少年クラブ」と改題し、62年休刊。「

「少年ブック」(集英社) 1949年創刊の「おもしろブック」を59年に改題。 69年に「別冊少年ジャンプ」に統合され廃刊。

「日の丸」(集英社) 1946年創刊の「幼年ブック」を1958年に改題。63年休刊。

「ぼくら」(講談社) 1954~69

 私は経済的問題で(つまり、カネのない子供だったということだ)、マンガ少年にはなれなかった。1年に一度だけ、マンガを買うことを許されたので「少年画報」を買い、友達の家に行くと「少年」があったりするとその場で読ませてもらうという程度のつきあいだったが、上に書き出したマンガ雑誌のすべてのタイトルに記憶がある。「読みたい、読みたい」と念じつつ表紙を凝視していたからかもしれない。月刊誌は付録付きで、ひもで縛ってあったから、立ち読みはできなかった。

 週刊マンガ誌は1959年から始まる。

 「週刊少年マガジン」(講談社)と「週刊少年サンデー」(小学館)、広告代理店が仕組んだのか、どちらも1959年3月17日に創刊している。創刊時の記憶はない。「週刊少年キング」(少年画報社)の創刊は1963年だから覚えているが、「魅力的だ」と思った記憶はない。休刊は82年。

 中学時代はマンガはあまり読まず、雑誌は「ボーイズライフ」(小学館 1963~69)をたまに読み、高校では「平凡パンチ」(平凡出版 1964~88)や「週刊プレイボーイ」(集英社 1964~ )などをたまに読んだが、雑誌そのものをあまり読んでいない。高校を卒業したのは、1971年。雑誌がおもしろいことを知り、「ビックコミック」(小学館 1968~ )や「週刊漫画アクション」(双葉社 1967~ )などをよく読んだ。マンガよりも、アクションに載っている関川夏央山口文憲南伸坊などのコラムを楽しみにしていた。

 今まででもっとも雑誌を読み、影響を受けたのは1970年代だ。「話の特集」(1965~95)や「面白半分」(1971~80)の2誌で数多くの書き手や写真家やデザイナーを知った。竹中労植草甚一和田誠永六輔などを「話の特集」で読み、「面白半分」で開高健金子光晴などを熟読した。1973年創刊の「Wonderland」(晶文社)はすぐに「宝島」と書名を変更したものの6号で休刊。1974年にJICC出版から復刊。そのほか「ぴあ」や「ビックリハウス」、「現代の眼」、「噂の真相」なども時々読んでいたから、マンガからは次第に遠ざかって行った。70年代にはこんな雑誌を読み、雑誌が主催した講演会にもよく行った。