194話 「世界の秘境シリーズ」人物中心読み飛ばし その2

 古本屋で手に入れた「世界の秘境シリーズ」の13冊を、執筆者を中心に読み飛ばしてみよ う。記事の内容をいちいち紹介すると、あまりに長くなってしまうから執筆者の話だけ書くことにする。署名のない原稿はでっちあげのきわどい原稿で、「未踏 の喰人地帯探検行」といったようなおどろおどろしい話題には興味がないので、無視する。じつは、そういうおどろおどろしい記事こそ「世界の秘境」の背骨な のだが、わたしは軟体動物を選ぶことにする。ということは、「世界の秘境」の本質を紹介するエッセイにはならないことをおことわりしておく。あまりインチ キ臭くない記事の、書き手の紹介だ。
 今回入手した創刊第2集(2号ではなく、2集とするのがこの雑誌だ)には、創刊号の詳しい目次がついていて、「この雑誌はバックナンバーでお揃え下さい」と呼びかけている。創刊号も第2集も、執筆者にそれほど変わりはないので、まず大物から紹介してみよう。
 自分の若き時代を書くエッセイ「わが青春放浪記」の第一回は、福田蘭堂。画家青木繁の息子にして、石橋エータローの父親。随筆家、作曲家、尺八奏者、釣り師。団塊世代には、「ひゃらーりひゃらりこ〜」(笛吹童子)の作曲者として知っているだろう。
 世界の珍談奇談を集めた「信じようと信じまいと」は、書誌研究家で作家の庄司浅水。彼の本は読んだことはないが、古本屋ではよく見る名前だ。この連載 エッセイは、タイトルからもわかるように、“Believe It or Not” の無断翻訳・翻案だろう。
 なんと別雑誌の現役の編集長が他誌に原稿を書いている。「旅」(日本交通公社)の編集長岡田喜秋(1951年から71年まで編集長)が、堂々と「日本の 旅・忘れられた風土」という連載を引き受けている。ほかの号では、岡田の前に「旅」編集長を勤めた戸塚文子も寄稿している。
 作家黒沼健の名もある。「おどろおどろ世界」では有名な作家だ。今回調べてみて、少年時代に何回か見たことがあるテレビ番組「海底人8823」の原作者だとわかった。昔のよい子は8823で「ハヤブサ」と読むのだと知っていたのですよ。
 連載「世界の私娼窟」を担当しているのは、ご存知清水正二郎。のちの直木賞作家胡桃沢耕史
 動物物や戦記物で知られる作家戸川幸夫は、創刊号と第2集の2回にわたって「孤島に星は流れる」を発表している。これを原作に映画化したのが、「間諜中野学校 国籍のない男たち」(日活 1964年 主演:二谷英明)だ。
 創刊号の目次に、{女ひとり秘境を行く}として2本の原稿がある。その1本「アフリカ大陸80日間冒険旅行」(後藤薫子)の作者に心当たりがあるが、けっしてひとり旅じゃなかったはずだ。
 1958年3月に、ケニアからコンゴへ80日間の自動車旅行をした早稲田大学赤道アフリカ遠征隊の記録、『アフリカ横断一万キロ』(朝日新聞社、 1958年)を読んだことがある。男女混合9名の隊員のなかで、「日本女性として初めて6000メートル級の登頂に成功した後藤・鈴木の両隊員」と、写真 つきで紹介してある、その「後藤」というのが、後藤薫子である。
 なぜ彼女を覚えていたかと言うと、私には「旅のその後」を知りたいという性癖があって、この『アフリカ大陸・・・・』という記録を読んだときも、隊員たちのその後を調べてみた。その結果、唯一後藤氏のその後だけがわかったのである。
 後藤薫子(ごとう・のぶこ)、現小倉薫子は、1932年生まれ。父は日本山岳会名誉会員。早稲田の山岳部出身。卒業後、婦人画報社に入社するものの、山 岳部OBとしてアフリカ遠征隊に参加。その後も、南米やサハラやオーストラリアの山に登ったりドライブをしたりという日々を送っているそうだ。そういう大 活躍した人だということがわかって、後藤薫子という名を覚えていたのだ。
 「世界の秘境」の話は、まだまだ話は続く。